熊谷直好
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熊谷 直好(くまがい なおよし、天明2年2月8日(1782年3月21日) - 文久2年8月8日(1862年9月1日))は、江戸時代後期の歌人。初名は信賢。通称は八十八・助左衛門。号は長春亭・軽舟亭・桃屋。周防国岩国藩士。なお、平安時代末期の武将熊谷直実の24世と称した。
生涯
[編集]萩藩藩士となった安芸熊谷氏分家の出身。熊谷信直の五男・熊谷就真が熊谷騒動(毛利家による熊谷本家・熊谷元直の粛清事件)に連座、萩を追われて岩国に一時滞在し、のち一族が赦された際、就真の子・正勝は萩に戻らず岩国藩士となった。この子孫が直好である(『角川日本姓氏歴史人物大辞典』)。
19歳の時上洛して香川景樹に師事、桂門1000人中の筆頭と称された。香川景樹の桂園十哲の一人にも数えられる。文政8年(1825年)香川家の扶持問題に絡んで脱藩している。京都に住んだが、その後大阪へ移った。
歌集に「浦のしお貝」、著書に「梁塵後抄」「法曹至要抄註釈」「古今和歌集正義序註追考」など。弟子に間島冬道などがいる。
参考資料
[編集]- 『角川日本姓氏歴史人物大辞典』