無為信寺
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無為信寺 | |
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所在地 | 新潟県阿賀野市下条町8-21 |
山号 | 佛性山 |
院号 | 金剛院 |
宗派 | 真宗大谷派 |
正式名 | 佛性山金剛院無爲信寺 |
札所等 | 二十四輩 |
文化財 | 金剛頂経曼殊室利菩薩五字心陀羅尼品、悉曇集記 上中 淳祐筆 2巻、藤原氏系図 1巻(重要文化財)ほか |
公式サイト | [公式ウェブサイト ] |
法人番号 | 5110005003767 |
無為信寺(むいしんじ)は、新潟県阿賀野市にある真宗大谷派の仏教寺院である。二十四輩(親鸞の24人の高弟)の一人・無為信所縁の寺であり、香樹院徳龍など多くの学僧が輩出した。
歴史
[編集]起源
[編集]二十四輩の一人である無為信によって創建された。もとは会津門田一ノ堰に設けられ、近世には棚倉藩主内藤家に保護され、一ノ堰から棚倉に移った。その後、藤枝、京都六条に移ったが、諸事情により本山(東本願寺)預かりとなっていた。
再興
[編集]越後国蒲原郡下条村[要曖昧さ回避]の豪農・佐藤宗栄(伊左衛門)は、私財を投じて無為信寺の復興を志し、1760年(宝暦10年)に新潟即得寺の順崇を住職に迎え、無為信寺を再興した。
香樹院徳龍
[編集]第1世住職の順崇は、伊左衛門の次女きやと結婚し、5男をもうける。その次男の第3世住職が香樹院徳龍である。高倉学寮で深励に師事し、東本願寺学寮の最高学位である講師に就任、「学識は香月院(深励)、徳行は香樹院(徳龍)」と称され、倫理や生活規範に真宗の教義を生かした教化を行った。甥の第5世住職・香涼院行忠も学寮の講師となった。他にも、徳猊や慈影など著名な学僧が無為信寺から輩出した[2]。
文化財
[編集]- 重要文化財(国指定)
- 新潟県指定有形文化財
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ “豪農が闊歩したまち 水原そぞろ歩き”. 新潟日報. (2018年9月21日)
- ^ 歴史と人物|佛性山金剛院無為信寺
- ^ 金剛頂経曼殊室利菩薩五字心陀羅尼品〈淳祐筆/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2016年10月21日閲覧。
- ^ ラ・ラ・ネット|新潟ふるさと情報(国・県指定文化財)|金剛頂経曼殊室利菩薩五字心陀羅尼品、2016年10月21日閲覧。
- ^ 悉曇集記〈上中/淳祐筆〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2016年10月21日閲覧。
- ^ ラ・ラ・ネット|新潟ふるさと情報(国・県指定文化財)|悉曇集記 上中、2016年10月21日閲覧。
- ^ 藤原氏系図(隆家流) - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2016年10月21日閲覧。
- ^ ラ・ラ・ネット|新潟ふるさと情報(国・県指定文化財)|藤原氏系図 (隆家流)、2016年10月21日閲覧。
- ^ ラ・ラ・ネット|新潟ふるさと情報(国・県指定文化財)|古論草、2016年10月21日閲覧。
- ^ ラ・ラ・ネット|新潟ふるさと情報(国・県指定文化財)|方便法身尊像、2016年10月21日閲覧。
外部リンク
[編集]- 佛性山金剛院 無為信寺 - 無為信寺公式サイト
座標: 北緯37度50分16秒 東経139度13分19.3秒 / 北緯37.83778度 東経139.222028度