コンテンツにスキップ

烙印を押された人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『烙印を押された人々』(らくいんをおされたひとびと、Die Gezeichneten)は、フランツ・シュレーカーが作曲し、台本を書いた3幕からなるオペラである。この台本は、フランク・ヴェーデキントの戯曲《ヒダッラまたは存在と所有、(Hidalla oder Sein und Haben)》または、《小人の巨人カール・ヘットマン(Karl Hetman, der Zwerg-Riese)》から影響を受けている。また、1914年にシュレーカー自身が、第一幕への前奏曲に基づく「Vorspiel zu einem Drama(あるドラマへの前奏曲)」を作曲している。シュレーカーの9つのオペラのうちの4作目であるこの『烙印を押された人々』では、この6年前に書かれたリヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ、(Elektra)』の表現主義に、リヒャルト・ワーグナーロマン主義とドビュッシーら印象主義を融合させ、独自のスタイルを確立している。

当初、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーから自作のオペラの台本にと、「醜い男の悲劇」といった具体的なリクエストをもって作成の以来をされ台本を書いていたが、やがて、シュレーカーはオスカー・ワイルドの戯曲などを参考にし、台本を作成するうちに自分でオペラにしてみようと思うようになり、ツェムリンスキーに断りを入れてこのオペラを書いている。1922年のドイツ映画については、「Die Gezeichneten」を参照。

概要

[編集]

台本を1909年から1912年までに、そして1913年から1915年にかけて作曲されたこのオペラは、オーストリア系ドイツ人の作曲家フランツ・シュレーカーの4作目であり、最も成功したオペラである。作曲者の台本による全3幕のグランドオペラで、非常にエロティックで、深く悲観的であり、少なくとも後にこの作品を非難した国家社会主義者たちから見れば、病的とも言える内容のオペラとなっている。輝かしいメロディー、華麗なハーモニー、壮麗なオーケストレーション、そしてシュレーカーと同時代のリヒャルト・シュトラウスのオペラにさえ挑戦する美的統一感を備えた、音楽芸術の深遠な美の作品でもある。全曲を通して、非常に色彩豊かなオーケストレーションが施されており、技術的にもオーケストラにとって実力が試される曲となっている。

ドイツ語のタイトル、“Die Gezeichneten”はもともと「印をつけられた人々」という意味だが、これだとどんなオペラか内容が想像つかない。これを『烙印を押された人々』と訳したことにより、このオペラの内容が見当がつくものにとなる。つまり、ここに登場するのは3人の主要人物が“烙印を押された人々”である。一人は、醜いアルヴィアーノで、自分の求める美と、自分自身の醜さとの落差に委縮して、目の前に愛する女性がいても、その女性に手を触れることができない。その女性、カルロッタは美しいけれど、心臓が弱く、手しか描く事のできない画家で、一言でいえば“病んでいる”。もう一人は、色男のタマーレで、彼は望むものは何でも手に入ると思っている。だから、カルロッタから拒否されると、いっそう狂おしく彼女を求める。アルヴィアーノの愛が精神の愛なら、タマーレの愛は肉体の愛で、まさにアガペーとエロスを代弁している。また、一人の女性(ソプラノ)をテノールバリトンが争うという点において、オペラの典型である。初演は、1918年4月25日にフランクフルト歌劇場で行われたた。

編成

[編集]

登場人物

[編集]
  • アントニオット・アドルノ公爵(高いバス):ジェノヴァの有力者
  • アンドラーエ・ヴィテロッツォ・タマーレ伯爵(バリトン):若い貴族で色男
  • ロドヴィーコ・ナルディ(バス):ジェノヴァの市長
  • カルロッタ・ナルディ(ソプラノ):その娘、画家
  • アルヴィアーノ・サルヴァーゴ(テノール):ジェノヴァの貴族
  • グイドバルド・ウーゾディマーレ(テノール):ジェノヴァの貴族
  • メナルド・ネグローニ(テノール):ジェノヴァの貴族
  • ミケロット・チーボ(バリトン):ジェノヴァの貴族
  • ゴンザルヴォ・フィエスキ(バリトン):ジェノヴァの貴族
  • ユリアン・ピネッリ(バス):ジェノヴァの貴族
  • パオロ・カルヴィ(バス):ジェノヴァの貴族
  • 司法警察の隊長(バス)
  • ジネーブラ・スコッティ(ソプラノ):誘拐された娘
  • マルトゥッチア(アルト):サルヴァーゴ家の女中
  • ピエトロ(テノール):刺客
  • 若者(テノール)
  • 若い娘(ソプラノ)
  • 参事会員1(テノール)
  • 参事会員2(バリトン)
  • 参事会員3(バス)

管弦楽

[編集]

上演時間

[編集]

約2時間15分(各45分、40分、50分)

あらすじ

[編集]

舞台は16世紀、イタリア北西部の港湾都市ジェノヴァ。

第1幕 貴族アルヴィアーノ・サルヴァーノの館

[編集]

アルヴィアーノの館若い貴族アルヴィアーノの館に、貴族のグイドバルド、メナルド、ミケロット、ゴンザルヴォ、ユリアン、パオロが集まっている。

町の有力な貴族の一人であるアルヴィアーノは、美と女性への強い憧れから、自らの財産をつぎこんで海に浮かぶ島を、噴水や彫刻を備えたすばらしい庭園「楽園(エリュージウム)」に作り上げている。だが、彼自身は背中が曲がり醜い容姿であるため、女性からは離れ、その島に足を踏み入れることもない。実は、この島の地下の広間には、性的狂乱(オルギア)のための洞窟(グロッタ)が作られており、貴族の友人たちはジェノヴァ市民の娘たちを誘拐してはそこに閉じ込めていた。この「楽園」は、もともとアルヴィアーノが考え出したものではあるが、仲間の貴族たちは、美の空間だけでは物足りず、町の美しい娘たちを攫っては、島に作った洞窟で享楽的な日々を送っており、町では少女誘拐に市民が怯えていた。アルヴィアーノはそんなこととは露知らず、自分が創った理想郷のエリジウムを、ジェノヴァの市民にも開放して楽しんでもらいたいと、市に寄贈を申し出たのである。

舞台はここから始まる。仲間の貴族たちは、自分たちの悪事がばれるのを恐れて、アルヴィアーノに寄贈を思いとどまらせようとする。が、アルヴィアーノは公証人を呼んで、寄贈の手続きを進めている。相談している貴族たちのところに、美男子の貴族タマーレが遅れてやってくる。彼は、途中ですれちがった淑女を一目見て、恋の虜となっている。島の寄贈の意向を受けて、ジェノヴァ市長が娘のカルロッタを連れてアルヴィアーノの邸宅にやってくる。このカルロッタこそ、タマーレが一目惚れした女性であり、彼は情熱を込めて愛を伝えようとするが、カルロッタは手玉に取るように言葉を交わしながらも、タマーレをまるで相手にしない。

その場を去ろうとするタマーレに、仲間の貴族は、アドルノ公爵にとりなしを頼んでくれと頼む。アドルノ公爵はかつて町を救ったことで、市民から絶大な人気と権力があり、市長といえどもアドルノ公爵の了解がないと実行に移せない。だからアドルノ公爵と親しいタマーレを通じて、アルヴィアーノのエリジウムの寄贈に関し、アドルノ公爵に待ったをかけて貰おうというのである。

食事の用意が整い、皆、広間に移る。途中でカルロッタとアルヴィアーノは広間を抜け出し、食事のあと、カルロッタはアルヴィアーノと二人だけになったときに、自分は絵を描いており、とりわけ魂を描こうとしているのだと語る。そして、実はそれまでにすでにアルヴィアーノの絵を途中まで描いており、欠けている顔と眼を完成するために自分のアトリエに来てほしいと願う。アルヴィアーノは、カルロッタが自分をからかっているのかと戸惑いながらも、カルロッタが前々から自分を見ていたことを知って、彼女が本気だとわかり承諾する。その間に、アルヴィアーノの館の女中のマルトゥッチアをピエトロが訪ねて来て、誘拐してきたジネーブラを預かってほしいと言って、去って行った。

第2幕 アドルノ公爵家の広間

[編集]

エリジウムの寄贈に関し、アドルノ公爵の了解を得ようと市の参事会員がやって来るが、市民にも貴族にもいい顔をしようとするアドルノ公爵から、よい返事は得られない。タマーレはアドルノ公爵に、市長の娘カルロッタとのとりなしを願い出る。アドルノ公爵は力になろうと言い、「だが、それでもダメな場合はあきらめなさい」と釘をさすが、タマーレは「恋人がダメなら愛人にする」と強気に出るので、アドルノ公爵は、タマーレが昨今の少女誘拐と関係あるのではと疑い始める。そこでタマーレはエリジウムのことを打ち明け、アドルノ公爵は当面、寄贈を阻止すると約束する。

場面変わって、カルロッタのアトリエ。カルロッタはアルヴィアーノを描きながら、手ばかり描く、心臓の弱い女性画家の話をする。そして自分がアルヴィアーノに惹かれていることを告白する。カルロッタがよろめいた時に絵に掛かっていた布が外れ、手が描かれた絵が見える。手ばかり描く、心臓の弱い画家とはカルロッタ自身のことだとアルヴィアーノは分かり、彼女を抱きしめようとする。しかし臆病なアルヴィアーノの抱擁は控え目で、彼女の額にキスするだけだった。

第3幕 エリジウム島(楽園島にて)

[編集]

地上の楽園エリジウムが市民に開放され、市民はこぞって島にやって来る。「楽園」は、古代ギリシアを思わせる牧神(パン)やバッカスの巫女など異教的でエロティックな雰囲気に満ち、信心深いまじめなキリスト教徒の市民たちにとっては受け入れ難いものに溢れ、噴水が出ている。牧神やニンフに扮した姿も見える中を、市民は感嘆の声をあげながら、歩いている。マルトッゥチアは、ジネーブラ誘拐の事実を知り、主人のアルヴィアーノに注意を促そうと探しに来て、その最中にピエトロに捕まってしまう。アルヴィアーノは、カルロッタを探し回っている。

カルロッタはアドルノ公爵と話をしていたが、アルヴィアーノの絵を描き上げるや否や、彼への情熱が冷めてしまったことに当惑し、熱に浮かされたように、夏の夜に島を彷徨っている。仮面の行列が始まり、カルロッタは仮面を被ったタマーレに誘われて、ついて行く。司法警察の隊長が現われ、アルヴィアーノを少女誘拐の犯人として逮捕すると告げると、市民はアルヴィアーノを庇って立ちはだかる。逃げ出したジネーブラは、自分を誘拐したピエトロのことをメナルドだと思っていて、メナルドが犯人だと言うと、ジネーブラに恋い焦がれているユリアンは、怒ってメナルドと決闘する。

アルヴィアーノは、司法警察とのやり取りで事の次第を察し、市民を引き連れて地下の洞窟に向かう。カルロッタは意識を失ってベッドに横たわっており、その横にとらえられたタマーレがいる。カルロッタが自らの意志で身体を捧げたというタマーレの言葉をアルヴィアーノは「嘘だ」と否定しようとし、タマーレの言葉によって激情にかられたアルヴィアーノはタマーレを刺し殺す。タマーレの叫びで意識を取り戻したカルロッタに、アルヴィアーノは「愛する人よ」と声をかけるが、カルロッタはそれを退け、タマーレの名前を呼びながら息絶える。アルヴィアーノはそれを聞き、狂ったように呆然とした言葉を発しながら去ってゆく。

主要曲

[編集]
  • アルヴィアーノのアリア Alviano's aria (tenore)(第一幕第一場):Ganz recht - Es gab - Frühlingsnächte. まったくその通り~春らしい夜が続いた頃だった
  • カルロッタのアリア Carlotta's aria (soprano)(第一幕第六場):Dort, wo die Stadt weit wird. あちらの、街が広くなるあたり
  • タマーレのアリア Tamar's aria (baritone) (第三幕第二十場):Und wenn du mich mordest. お前がもし俺を殺そうとて

前奏曲について

[編集]

シュレーカーは、1915年に完成したオペラ「烙印を押された人々」の第一幕への前奏曲に基づいた作品、「あるドラマへの前奏曲(Vorspiel zu einem Drama)」を1914年に作曲している。この作品では、オペラ「烙印を押された者たち」の登場人物や物語の設定を表現する音楽であるとともに、実は全体がソナタ形式のような構成を備えた音楽として作り上げられている。前奏曲のきらめくような管弦楽の色彩、恍惚とするほど情熱的な旋律、官能的でエロティックなハーモニーをそのままに、さらに発展させている。しかし、ヴォルスピールの中心となる展開部は、序奏の主題を発展させるというよりも、より官能的な装飾と、よりオーガズム的なクライマックスによって、その愛らしさを高めている。同様に、ヴォルスピールの再現部で冒頭の主題が回帰するのは、展開部に存在しなかった葛藤を解決するのではなく、元の形に戻すためである。

作品の冒頭、ドビュッシーを思わせる幻想的で神秘的な和音の繊細な伴奏音形(2台のハープ、ピアノ、チェレスタ、ヴァイオリンが二つの異なる調性で奏でる)にのって、ヴィオラ、チェロ、バスクラリネットによる瞑想的な旋律が始まる。この音楽は、オペラでは第2幕後半で、カルロッタがアルヴィアーノに愛を告白した後、彼に催眠術をかけるかのように語りかけ、絵の制作に没頭するときに使われている。二人とも、肉体的な制約にはばまれた、強い憧れと愛欲の力を暗く秘めている人物であり、その抑えられた強い感情が、付点を伴う跳躍の音形や、続くホルンの強奏(アルヴィアーノの主題)によって繰り返し表現されている。この部分が全体の導入部となっている。

続いて、突然アレグロ・ヴィヴァーチェの早いテンポとなり、ここからがソナタ形式の提示部にあたる部分となる。最初の少しばかりおどけたような、しかし華やかな音楽は、オペラでは第3幕で楽園島がジェノヴァ市民たちにも公開され、そこで異教的な仮装行列による祝祭が繰り広げられている場面で使われているものである。そのあと、シンバルも伴う非常に晴れやかで情熱的な音楽となる。これは、輝かしく生命力に満ち溢れた若い美男子の貴族タマーレの主題である。これがいったん収束するところまでが、オペラの実際の前奏曲として用いられた部分にほぼあたり、そしてまた、この作品にとっては提示部の終結するところとなる。引き続き、展開部にあたる部分がはじまるが、ここでは提示部で現れた主題の展開だけではなく、あらたな不気味な音楽も現れる。ここは、第3幕の終盤、アルヴィアーノがジェノヴァ市民を地下洞窟に案内する舞台転換で用いられているスペクタクル的な音楽である。そこには、アルヴィアーノの暗い情熱の主題も絡み合っている。

このあと再びアレグロ・ヴィヴァーチェの音楽が始まり、ここからが「再現部」となる。かなりの程度、「提示部」と対応した音楽のあと、冒頭の主題が現れるコーダとなり、全曲が静かに締めくくられる。なお初演は1914年2月8日にウィーン楽友協会大ホールで開催され、フェリックス・ヴァインガルトナー指揮のもとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって上演された。

参考文献

[編集]
  • Die Gezeichneten 総譜 ウィーン:ウニヴェルザール出版社(再版、ミュンヘン:ヘフリッヒ社)
  • Christopher Hailey, Franz Schreker 1878-1934: Eine kulturgeschichtliche Biographie. Böhlau, 2015.
  • David Klein, „Die Schönheit sei Beute des Starken“. Franz Schrekers Oper „Die Gezeichneten“. Are Musik Verlag, 2010.
  • Rudolf Stephan, „Zu Franz Schrekers Vorspiel zu einem Drama“, in: Otto Kolleritsch (Hrsg.), Franz Schreker. Am Beginn der neuen Musik,Universal Edition, 1978.
  • Th. W. アドルノ(岡田暁生・藤井俊之訳)『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』法政大学出版局、2018年

「オペラ対訳プロジェクト」より  Schreker,Franz - Die Gezeichneten

  • 田辺とおる「フランツ・シュレーカーのオペラ『烙印を押された人々』における欲望のかたち」
  • 田辺とおる「フランツ・シュレーカーのオペラ『烙印を押された人々』にみるシェーンベルクの余韻-《幸福な手》との関係において-」
  • 田辺とおる「フランク・ヴェーデキントの戯曲《小人の巨人カール・ヘットマン》 -フランツ・シュレーカーのオペラ『烙印を押された人々』の素材として-」 
  • 田辺とおる「フランツ・シュレーカーのオペラ『烙印を押された人々』から3曲のアリア」

外部リンク

[編集]

オペラ『烙印を押された人々』解説~新交響楽団Webサイトより