滋賀渡船6号
滋賀渡船6号 | |
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属 | イネ属 Oryza |
種 | イネ O. sativa |
交配 | 雄町の分離系統選 |
亜種 | ジャポニカ O. s. subsp. japonica |
品種 | 滋賀渡船6号 |
開発 | 滋賀県農事試験場 |
滋賀渡船6号(しがわたりぶねろくごう)は、滋賀県農事試験場(現 滋賀県農業技術振興センター)が開発した日本のイネの品種名および銘柄名である。酒造好適米の一種。
概要
[編集]「雄町」と異名同種、もしくは「雄町」の選抜系統であるとされる「渡船」から純系分離、選抜を経て、1916年に育成[1][2]。
選抜元である「渡船」の命名に関しては「滋賀県農事試験場に各地から在来品種を集めて、塩水選を行う際に名札が落ちてどこから来たものか不明となった。福岡県から船で渡ってきたものだと推定されたことから仮に「渡船」と命名され、そのまま定着した」という命名に関するエピソードが一般に知られている。この内容が書かれた資料には1936年11月に滋賀県農会により発行された『滋賀農報昭和11年11月号(第268号)』収録の『農事試験場設立の動機』がある[3][4]。この資料によれば「渡船」とは1895年に命名されたことになっている。その後、1908年に発行された報告書『米ノ品種及其分布調査:農事試験場特別報告 第25号』内で「渡船」は「雄町」と異名同種とされた[4]。しかし滋賀県では1905年に「渡船、雄町を渡船とする」旨の稲品種名改称を行っている等[5][4]、滋賀県側に残っている記録とは整合しない内容[6]になっており、取り扱いには慎重になる必要がある。
1959年まで滋賀県の奨励品種として湖南地方を中心に栽培されていた[7]。単収が低く倒伏しやすいため、1960年代に生産が途絶え[8]、文献に残るだけの存在となっていた[9]。
2003年にJAグリーン近江酒米部会が「山田錦」の父にあたるので作りたいと滋賀県に要望し、2004年に滋賀県農業技術振興センターに品種保存されていた一握りの種子を使って増殖に成功[7][10]。これは「滋賀渡船6号」と「山田錦」の花粉親にあたる「短稈渡船」が両者とも「渡船」からの選抜系統と考えられるからである。ただし、「短稈渡船」に関する資料はほぼ残されておらず品種特性は不明[4]。池上らは「滋賀渡船6号」は長稈で穂数が少ないことから「短稈渡船」と同一品種の可能性は低いとしている[4]。
脚注
[編集]- ^ “イネ品種データベース検索システム”. 国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 次世代作物開発研究センター. 2019年8月24日閲覧。
- ^ “滋賀県における水稲品種改良の歴史”. 滋賀県農業技術振興センター. 2019年8月24日閲覧。
- ^ 畊月生「農事試験場設立の動機③ 場長その人を得て」『滋賀農報』第268号、1936年11月26日、14-19頁、NCID AN00282861。
- ^ a b c d e 池上勝、三好昭宏、世古晴美、渋谷幾夫、西田清数「酒米品種「山田錦」の育成経過と母本品種「山田穂」,「短稈渡船」の来歴」(PDF)『兵庫県立農林水産技術総合センター研究報告』第53号、2005年、37-50頁、ISSN 13477722、NCID AA11834662。
- ^ 「稲品種名改称」(PDF)『滋賀縣農會報』第38号、1905年10月、43頁、NCID AN00320563。
- ^ “幻の酒米『渡船』とは?”. 米っ娘 桜源郷. 2020年3月16日閲覧。
- ^ a b “滋賀県生まれの幻の酒米「滋賀渡船」復活 米と清酒の地域ブランド目指す”. 科学技術振興機構. 2019年8月23日閲覧。
- ^ 林岳、西澤栄一郎、合田素行 (2018). “地域資源を活用したむらづくりにおける ソーシャル・キャピタルの役割 ―滋賀県近江八幡市白王町を事例として―”. 農林水産政策研究 28: 75 .
- ^ “【展示】近江米の挑戦”. 滋賀県ホームページ. 滋賀県. 2019年12月5日閲覧。
- ^ “滋賀のこだわり ブランド酒を全国へ”. JAグリーン近江. 2019年8月24日閲覧。