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溪口泰麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
溪口たにぐち 泰麿やすまろ
溪口泰麿(1953年)
生誕 1904年3月10日
日本の旗 日本 広島県
死没 (1992-11-03) 1992年11月3日(88歳没)
日本の旗 日本 東京都
所属組織 大日本帝国海軍
海上保安庁
海上警備隊
警備隊
海上自衛隊
軍歴 1920年 - 1945年(帝国海軍)
1952年 - 1954年(警備隊)
1954年 - 1960年(海自)
最終階級 海軍大佐(帝国海軍)
海将(海自)
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溪口 泰麿(たにぐち やすまろ、1904年明治37年)3月10日 - 1992年平成4年)11月3日)は、日本海軍軍人海上自衛官。最終階級は海軍大佐海将

経歴

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漢学塾主・溪口廉造の四男として生まれる。兄は溪口豪介大佐(海兵41期)、妻は山下源太郎大将(海兵10期)の娘。広島高師付中を経て、海軍兵学校に進む。海兵(51期)及び海大甲種33期)をともに恩賜組で卒業した。太平洋戦争中は大使館附武官補佐官としてドイツに駐在。1945年(昭和20年)4月13日、ソ連軍突入直前のベルリンで「出来得る限り多数の独潜水艦を東亜へ回航すべくドイツ側と折衝せよ」という本国訓令を受けた。ドイツ側と折衝したが、結論は「回航するだけの油がない」であった。

終戦後、帰国し、公職追放を経て[1]海上保安庁に入庁。「Y委員会」の委員補佐を務めた。また、艦船部長として米貸与艦船受入れ業務責任者であった[2]。海上自衛隊では、横須賀地方総監自衛艦隊司令幹部学校長を歴任し、1960年(昭和35年)3月、退官。

年譜

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栄典

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  • 勲二等瑞宝章 - 1974年(昭和49年)4月29日

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、658頁。NDLJP:1276156 
  2. ^ 世界の艦船』第591号(2002年1月号) 特集・自衛艦隊 「歴代自衛艦隊司令官人物伝」p151(海人社)
  3. ^ 昭和12年7月20日 海軍辞令公報 号外 第7号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100 
  4. ^ 昭和13年8月10日 海軍辞令公報(部内限)号外第223号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  5. ^ 昭和14年1月18日 海軍辞令公報(部内限)第288号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075300 
  6. ^ 昭和14年8月25日 海軍辞令公報(部内限)第372号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076200 
  7. ^ 昭和14年9月15日 海軍辞令公報(部内限)第379号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076300 
  8. ^ 昭和14年11月15日 海軍辞令公報(部内限) 第401号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  9. ^ 昭和15年5月1日 海軍辞令公報(部内限) 第472号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078000 
  10. ^ 昭和18年10月25日 海軍辞令公報(部内限)第1246号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093900 
  11. ^ 昭和19年5月1日 海軍辞令公報(部内限)第1447号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097800 
  12. ^ 昭和21年4月16日 第二復員省辞令公報 甲 第108号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072158900 
  13. ^ 昭和22年6月1日 復員庁第二復員局辞令公報 第39号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072160600 
  14. ^ 『官報』本紙第7462号(昭和26年11月21日)
  15. ^ 『官報』本紙第7613号(昭和27年5月27日)
  16. ^ 『官報』本紙第14202号(昭和49年5月4日)
  17. ^ 『官報』本紙第1046号(平成4年11月30日)

参考文献

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先代
吉田英三
自衛艦隊司令
第2代:1954年 - 1956年
次代
庵原貢
先代
吉田英三
横須賀地方総監
第2代:1953年 - 1954年
次代
吉田英三