溪口泰麿
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溪口泰麿(1953年) | |
生誕 |
1904年3月10日 日本 広島県 |
死没 |
1992年11月3日(88歳没) 日本 東京都 |
所属組織 |
大日本帝国海軍 海上保安庁 海上警備隊 警備隊 海上自衛隊 |
軍歴 |
1920年 - 1945年(帝国海軍) 1952年 - 1954年(警備隊) 1954年 - 1960年(海自) |
最終階級 |
海軍大佐(帝国海軍) 海将(海自) |
溪口 泰麿(たにぐち やすまろ、1904年(明治37年)3月10日 - 1992年(平成4年)11月3日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大佐、海将。
経歴
[編集]漢学塾主・溪口廉造の四男として生まれる。兄は溪口豪介大佐(海兵41期)、妻は山下源太郎大将(海兵10期)の娘。広島高師付中を経て、海軍兵学校に進む。海兵(51期)及び海大(甲種33期)をともに恩賜組で卒業した。太平洋戦争中は大使館附武官補佐官としてドイツに駐在。1945年(昭和20年)4月13日、ソ連軍突入直前のベルリンで「出来得る限り多数の独潜水艦を東亜へ回航すべくドイツ側と折衝せよ」という本国訓令を受けた。ドイツ側と折衝したが、結論は「回航するだけの油がない」であった。
終戦後、帰国し、公職追放を経て[1]、海上保安庁に入庁。「Y委員会」の委員補佐を務めた。また、艦船部長として米貸与艦船受入れ業務責任者であった[2]。海上自衛隊では、横須賀地方総監、自衛艦隊司令、幹部学校長を歴任し、1960年(昭和35年)3月、退官。
年譜
[編集]- 1920年(大正9年)8月:海軍兵学校入校
- 1923年(大正12年)7月:海軍兵学校卒業(第51期)
- 1924年(大正13年)12月:海軍少尉任官
- 1926年(大正15年)12月:海軍中尉に進級
- 1928年(昭和 3年)12月:海軍大尉に進級
- 1929年(昭和 4年)11月:海軍水雷学校高等科卒業、駆逐艦「若竹」乗組
- 1930年(昭和 5年)12月:重巡洋艦「古鷹」分隊長
- 1932年(昭和 7年)2月:重巡洋艦「高雄」分隊長
- 1933年(昭和 8年)12月:海軍大学校入校
- 1934年(昭和 9年)11月:海軍少佐に進級
- 1935年(昭和10年)10月:海軍大学校卒業(甲種33期)卒業、「若竹」駆逐艦長
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)8月10日:軍令部出仕兼海軍省出仕[4]
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)5月1日:ドイツ国在勤帝国大使館附武官補佐官[9]
- 1943年(昭和18年)10月25日:兼補海軍艦政本部造兵監督官[10]
- 1944年(昭和19年)5月1日:海軍大佐に進級[11]
- 1946年(昭和21年)3月31日:予備役に編入、横須賀地方復員局人事部部員[12]
- 1947年(昭和22年)6月4日:復員事務官を願いにより退官[13]
- 1951年(昭和26年)11月1日:海上保安官に任命(二等海上保安監)[14]
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)4月1日:第2代 横須賀地方総監
- 1954年(昭和29年)9月20日:海将に昇任、第2代 自衛艦隊司令兼第1護衛隊群司令
- 1956年(昭和31年)8月1日:海上自衛隊幹部学校長
- 1960年(昭和35年)3月16日:退官
- 1974年(昭和49年)4月29日:勲二等瑞宝章受章[16]
- 1992年(平成 4年)11月3日:心不全のため東京都内の病院で逝去(享年88)。叙・正四位[17]
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、658頁。NDLJP:1276156。
- ^ 『世界の艦船』第591号(2002年1月号) 特集・自衛艦隊 「歴代自衛艦隊司令官人物伝」p151(海人社)
- ^ 「昭和12年7月20日 海軍辞令公報 号外 第7号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100
- ^ 「昭和13年8月10日 海軍辞令公報(部内限)号外第223号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200
- ^ 「昭和14年1月18日 海軍辞令公報(部内限)第288号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075300
- ^ 「昭和14年8月25日 海軍辞令公報(部内限)第372号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076200
- ^ 「昭和14年9月15日 海軍辞令公報(部内限)第379号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076300
- ^ 「昭和14年11月15日 海軍辞令公報(部内限) 第401号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700
- ^ 「昭和15年5月1日 海軍辞令公報(部内限) 第472号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078000
- ^ 「昭和18年10月25日 海軍辞令公報(部内限)第1246号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093900
- ^ 「昭和19年5月1日 海軍辞令公報(部内限)第1447号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097800
- ^ 「昭和21年4月16日 第二復員省辞令公報 甲 第108号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072158900
- ^ 「昭和22年6月1日 復員庁第二復員局辞令公報 第39号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072160600
- ^ 『官報』本紙第7462号(昭和26年11月21日)
- ^ 『官報』本紙第7613号(昭和27年5月27日)
- ^ 『官報』本紙第14202号(昭和49年5月4日)
- ^ 『官報』本紙第1046号(平成4年11月30日)
参考文献
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