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源忠賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

源 忠賢 (みなもとの ただかた) とは平安時代中期の貴族。醍醐源氏、西宮左大臣源高明の長男。官位正五位下左兵衛佐

経歴

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安和2年(969年)3月に左馬助源満仲前武蔵介藤原善時らが中務少輔橘繁延左兵衛大尉源連らによる謀反密告。謀反の容疑は父、高明にも及び[1]検非違使に邸を取り囲まれ、大宰権帥に左遷するが伝えられた。忠賢は父高明と共に出家して京に留まることを願うが許されず、大宰府へ流された。その後は不明。

略歴

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脚注

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  1. ^ 源連らの謀反に高明がどう関わったのかは不明。後代に成立した『源平盛衰記』には、高明が為平親王を東国に迎えて乱を起こし、帝に即けようとしていたと記されているが、史料としての価値は認められていない。
  2. ^ 子の致公は清和源氏源満季猶子となり家督を継ぎ、兵部丞蔵人・下総守を歴任した。