源当純
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時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位上、少納言 |
主君 | 宇多天皇→醍醐天皇 |
氏族 | 文徳源氏 |
父母 | 父:源能有、母:不詳 |
兄弟 | 当元、当時、当鑑、当方、当年、当純、当季、厳子、昭子、柄子 |
妻 | 不詳 |
子 | 安直、世似 |
源 当純(みなもと の まさずみ)は、平安時代前期の貴族・歌人。文徳源氏、右大臣・源能有の五男。官位は従五位上・少納言。
経歴
[編集]宇多朝の寛平6年(894年)太皇太后宮少進に任ぜられ、寛平8年(896年)に従五位下に叙爵する。
醍醐朝では大蔵少輔・縫殿頭を務めた後、延喜元年(901年)摂津守として地方官に遷る。延喜3年(903年)少納言に任ぜられて京官に復し、延喜7年(907年)に従五位上に叙せられる。延喜9年(909年)3月の仁王会までの存命[1]が確認できるが、その後の消息は不明。
歌人として活躍し、寛平元年(889年)に行われた寛平御時后宮歌合に出詠。勅撰歌人として『古今和歌集』に和歌作品1首が採録されている。
官歴
[編集]『古今和歌集目録』による。
- 寛平6年(894年) 正月:太皇太后宮少進(太皇太后・藤原明子)
- 寛平8年(896年) 正月7日:従五位下
- 寛平9年(897年) 5月:大蔵少輔
- 昌泰3年(900年) 日付不詳:縫殿頭
- 延喜元年(901年) 7月25日:摂津守
- 延喜3年(903年) 2月:少納言
- 延喜7年(907年) 日付不詳:従五位上(給国)
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:源能有
- 母:不詳
- 生母不詳の子女
- 男子:源安直
- 男子:源世似
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年