源了圓
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日本学士院より公表された肖像 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1920年7月27日 日本熊本県宇土市 |
死没 | 2020年9月10日 (100歳没) |
出身校 | 京都大学 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(思想史) |
研究機関 | 日本女子大学、東北大学、国際基督教大学 |
源 了圓(みなもと りょうえん、1920年7月27日 - 2020年9月10日[1])は、日本の歴史学者(思想史)。東北大学名誉教授、北京外国語大学名誉教授。日本学士院会員。
経歴
[編集]1920年、熊本県宇土市で生まれた[2]。第五高等学校を経て、京都大学文学部哲学科に進んだ。1948年に同大学を卒業し、同大学大学院に進学。大学院においては梅原猛と親交を結んだ。
日本女子大学文学部教授を経て、東北大学文学部教授に就任。1984年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は国際基督教大学教授として教鞭をとった。上記在任中には、コロンビア大学・北京日本学センター・オックスフォード大学などでも客員教授を務めた。2001年、日本学士院会員に選出された[3]。
2020年9月10日、鬱血性心不全のため死去。
受賞・栄典
[編集]- 1995年:北京日本学研究センター功労者
- 2002年:熊本県近代文化功労者、宇土市名誉市民(平成14年度)[4]
研究内容・業績
[編集]- 専門は近世日本思想史。その研究は主に二大別でき、その1つ目は純粋に思想史研究としての徳川初期より明治初期に至る「日本思想史」の研究であり、その2つ目は室町期の世阿弥より明治期の北村透谷に至る「日本文化論」の側面からの考察であった。著書『型と日本文化』に結びつく特徴的な日本文化論を展開した。
- 横井小楠と福澤諭吉の比較研究を行った。
著書
[編集]単著
[編集]- 『義理と人情 日本的心情の一考案』中公新書 1969年 x
- 中公文庫 2013年
- 『実学と虚学』富山県教育委員会 1971年
- 『徳川合理思想の系譜』中公叢書 1972年
- 『実学思想の系譜』講談社学術文庫 1986年
- 『徳川思想小史』中公新書 1973年
- 中公文庫 2021年
- 「仮字法語・化縁之疏」『鉄眼』(日本の禅語録 第17巻) 講談社 1979年
- 「仮字法語」『禅の古典』9・鉄眼 1982年
- 「鉄眼 新装版」(禅入門10)1994年
- 『近世初期実学思想の研究』双文社出版 1980年
- 『教育学大全集』1・文化と人間形成 第一法規出版 1982年
- 『江戸の儒学「大学」受容の歴史』思文閣出版 1988年
- 『身体の思想』2・型 創文社 1989年
- 『佐久間象山』(幕末・維新の群像 第8巻) PHP研究所 1990年
- 『佐久間象山』吉川弘文館(読みなおす日本史)2022年
- 『蓮如 浄土仏教の思想 第12巻』講談社 1993年
- 『一語の辞典 義理』三省堂 1996年
- 『精読・仏教の言葉 蓮如』大法輪閣 1999年
- 『横井小楠研究』藤原書店 2013年
共編著
[編集]- 『日本における生と死の思想 日本人の精神史入門』田村芳朗共編, 有斐閣選書 1977年
- 『日中実学史研究』末中哲夫共編, 思文閣出版 1991年
- 『国家と宗教 日本思想史論集』玉懸博之共編, 思文閣出版 1992年
- 『日中文化交流史叢書』第3巻・思想, 厳紹璗共編, 大修館書店 1995年
- 『日中文化交流史叢書』第4巻・宗教, 楊曾文共編, 大修館書店 1996年
- 『横井小楠のすべて』共編, 新人物往来社 1998年
編著
[編集]- 『古典大系日本の指導理念』全20巻, 第一法規出版 1983 - 1984年
- 『日本の名著 23 山片蟠桃・海保青陵』中央公論社 1971年 (責任編集) のち新版・中公バックス
- 『江戸後期の比較文化研究』ぺりかん社 1990年
- 『型と日本文化』創文社 1992年
- 原念齋『先哲叢談』平凡社〈東洋文庫〉1994年、前田勉共訳注
- 『高坂正顕 明治思想史』燈影舎〈京都哲学撰書 第1巻〉1999年 (編・解説)
- 『季刊日本思想史60 近代日本とアジア』ぺりかん社 2002年 (責任編集)
- 『別冊『環』横井小楠 1809-1869「公共」の先駆者』藤原書店 2009年
脚注
[編集]- ^ 杉村 隆会員・元院長、源 了圓会員の逝去について 日本学士院 2020年9月14日
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.345
- ^ 物故会員について(日本学士院)
- ^ 宇土市名誉市民(熊本県宇土市)