湖北省 (汪兆銘政権)
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汪兆銘政権 湖北省 | |
← 1940年 - 1945年 → | |
簡称:鄂
| |
簡体字 | 湖北 |
繁体字 | 湖北 |
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拼音 | Húbĕi |
カタカナ転記 | フーベイ |
国家 | 汪兆銘政権 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | 武昌県 |
成立 | 1940年 |
消滅 | 1945年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
沿革
[編集]1940年(民国29年)10月3日、汪兆銘政権の中央政治委員会第22次会議により武昌に湖北省政府を設置することが決定し、下部に武昌、鄂城、嘉魚、蒲圻、咸寧、大治、陽新、漢陽、漢川、黄陂、黄岡、浠水、蘄春、広済、応城、鍾祥、京山、潜江、天門、荊門、当陽、宜昌、監利、江陵、鄂北、鄂南、応山、雲夢、崇陽、通山、麻城、随県、安陸、岳陽、臨湘、信陽の39県及び礼山、宜都、枝江、通城の4県の一部を管轄した。
同会議により漢口を院轄市と定めたが、1943年(民国32年)10月19日の行政院代183次会議により省轄市に改編され、湖北省の管轄とされた。
歴代省政府主席・省長
[編集]省長
[編集]- 何佩瑢:1940年3月30日 - 10月5日
- (中華民国維新政府から継続して留任)
省政府主席
[編集]- 何佩瑢:1940年10月5日 - 1942年6月7日〔毒殺〕
- 楊揆一:1942年6月28日 - 1943年1月20日
省長
[編集]- 楊揆一:1943年1月20日 - 1945年3月3日
- 葉蓬:1945年3月3日 - 〔8月、廃止〕