清水柳北1号墳
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清水柳北1号墳 | |
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清水柳北1号墳のレプリカ | |
所属 | 清水柳北遺跡 |
所在地 | 静岡県沼津市 |
位置 | 沼津工業団地北緯35度9分12.7998秒 東経138度51分39.3679秒 / 北緯35.153555500度 東経138.860935528度座標: 北緯35度9分12.7998秒 東経138度51分39.3679秒 / 北緯35.153555500度 東経138.860935528度 |
形状 | 上円下方墳 |
規模 |
標高約150m |
埋葬施設 | 石櫃 |
出土品 | 須恵器等 |
築造時期 | 8世紀初頭 |
特記事項 | [1] |
地図 |
清水柳北1号墳(しみずやなぎきたいちごうふん)は、静岡県沼津市足高尾上にある上円下方墳である[2]。
概要
[編集]清水柳北1号墳は、第二沼津鉄工団地内で発見され、同団地内で移築されている[3]。1986年(昭和61年)の調査により、下方部の上に上円部が重ねられた上円下方墳であることが判明した。古墳の外周には幅約1メートル、一辺20メートルの方形の周濠が巡らされている。出土遺物は、須恵器が主であり、古墳の築造時期は、8世紀前葉と位置付けられている[4]。
発掘の経緯
[編集]以前から墳墓群の存在は知られていたが、1985年(昭和60年)沼津工業団地の第二工業団地建設計画に伴う詳細分布調査で、尾根の中央部に円墳状の墳墓が確認され、「清水柳北1号墳」と名付けられた。南側に二基の墳丘が確認され2号墳・3号墳と名付けられた。1986年(昭和61年)6月の事前の発掘調査にて上円下方墳であることが判明した。周溝に石櫃があった[2][5]。
規模
[編集]下記の通り[6]。
- 標高 145〜165メートル
- 北辺 20.3メートル
- 西辺 20.2メートル
- 東辺 20.0メートル
- 南辺 20.2メートル
出土品
[編集]- 石櫃
- 須恵器
現地情報
[編集]所在地
- 静岡県沼津市足高尾上
関連施設
- 沼津市文化財センター(沼津市志下) - 清水柳北1号墳出土品等を保管。
出典
[編集]- ^ 山本 2009, pp. 9–12.
- ^ a b 沼津市史編さん委員会・沼津市教育委員会 2002, p. 391.
- ^ 平凡社地名資料センター 2000.
- ^ 山本 2009, p. 9.
- ^ a b 沼津市教育委員会 1990, p. 404.
- ^ 沼津市史編さん委員会・沼津市教育委員会 2002, p. 393.
- ^ 沼津市教育委員会 1990, p. 414.
- ^ 沼津市教育委員会 1990, p. 424.
- ^ 沼津市教育委員会 1990, p. 418.
- ^ 沼津市教育委員会 1990, p. 687.
- ^ 山本 2009, p. 12.
参考文献
[編集]- 山本, 惠一「清水柳北1号墳について」『月刊考古学ジャーナル』第592号、ニュ-・サイエンス社、2009年11月、9-12頁、NAID 40016904039。
- 平凡社地名資料センター 編『日本歴史地名大系第22巻 静岡県の地名』平凡社、2000年10月。ISBN 9784582490220。
- 沼津市史編さん委員会・沼津市教育委員会 編『沼津市史 資料編 考古』沼津市、2002年3月。
- 沼津市教育委員会 編『沼津市文化財調査報告書第48集 清水柳北遺跡発掘調査報告書その2』沼津市教育委員会、1990年3月。
- 沼津市教育委員会 編『沼津市文化財調査報告書第96集 清水柳北遺跡(第3次)発掘調査報告書』沼津市教育委員会、2009年3月。
- 富士市文化振興課『愛鷹山と生きる』静岡県富士市永田町1-100〈富士山かぐや姫ミュージアム秋のテーマ展 令和3年度沼津市・富士市連携埋蔵文化財活用特別展示事業〉、2021年9月18日(原著2021年9月18日)。doi:10.24484/sitereports.102009 。