海部閑六
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海部 閑六(かいふ かんろく、1833年(天保4年) - 1878年(明治11年)10月28日)は、江戸時代末期(幕末)の徳島藩の槍術家。別名は芝野高園。海部郡(現・同郡海陽町)生まれ。
岡沢閑兵衛の五男。京都で槍や剣術を学び、海部開六と改名。幕末は岩倉具視の護衛となり、全身に刀創が絶えなかった。
1870年(明治3年)に庚午事変(いわゆる稲田騒動)に関係し、新島へ流罪となった。御免され、1878年(明治11年)10月28日、徳島より大阪に船で向かう途中、佐野で難船し溺死する。享年46。
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