海津町立高須小学校内記分校
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海津町立高須小学校内記分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 海津町 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1967年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒503-0641 |
岐阜県海津市海津町内記[注釈 1] | |
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海津町立高須小学校内記分校(かいづちょうりつ たかすしょうがっこう ないきぶんこう)は、かつて岐阜県海津郡海津町(現・海津市)に存在した公立小学校の分校。
概要
[編集]- 高須小学校の分校であり、現在の海津市海津町内記に存在した。1967年廃校。
沿革
[編集]高須小学校の沿革誌では、1885年に内記分校の前身の嚶々小学校は日新小学校に統合され、1886年2月に分立となっているが、内記分校の沿革誌ではこの時期の統合が記述されていないなど、異なる点が多くある。ここでは海津町史通史編の内記分校の記述[1]を参考にして記述する。
- 1873年(明治6年) -
- 内記村に嚶々義校が開校する。萱野村、内記村、五町村、札野村の児童が通学する。
- 稲山村に進明学校が開校する。
- 1874年(明治7年) - 嚶々義校が嚶々小学校に、進明学校が進明小学校に改称する。
- 1875年(明治8年)1月 -
- 萱野村、東小島村、西小島村(一部)が合併し、三ツ葉村が発足。
- 下梶村、五町村、柳湊村、西小島村(一部)が合併し、稲山村が発足。
- 馬目村、福島村、内記村が合併し、三喜村が発足。
- 1876年(明治9年)12月 - 伊勢暴動の暴徒が岐阜県多芸郡、石津郡に乱入。嚶々小学校の校舎が襲撃により全焼し、札野村の覚念寺[注釈 2]を仮校舎とする。
- 1881年(明治14年)
- 7月 - 三ツ葉村が分割して萱野村、東小島村、西小島村となる。
- 11月 - 三喜村が分割して馬目村、福島村、内記村となる。
- 1882年(明治15年)10月 - 嚶々小学校が内記村字突留に新築移転。
- 1886年(明治19年)12月 - 深浜村の児童が嚶々小学校に委託される。
- 1887年(明治20年)11月1日 - 嚶々小学校が進明学校を統合する。同時に嚶々尋常高等小学校に改称する。
- 1893年(明治26年) - 新築移転。高等科を廃止し、内記尋常小学校に改称する。
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)4月1日 -
- 1897年(明治30年)12月 - 西江村大字深浜(旧・深浜村)の委託を解消。
- 1898年(明治31年)9月5日 - 校舎を新築する。
- 1911年(明治44年)
- 6月6日 - 高須尋常高等小学校への統合が認可され、廃校。
- 7月19日 - 高須尋常高等小学校内記分教場の設置が認可される。旧・内記尋常小学校校舎を転用し、高須尋常高等小学校内記分教場となる。
- 12月1日 - 校舎を増築する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 高須国民学校内記分教場に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 高須町立高須小学校内記分校に改称する。
- 1953年(昭和28年)3月 - 校舎を改築する。一時的に児童は高須小学校への通学となる。
- 1955年(昭和30年)1月15日 - 高須町、西江村、大江村、吉里村、東江村と合併して海津町が発足。同時に海津町立高須小学校内記分校に改称する。校区の稲山地区(旧・西江村大字稲山)の一部が海津町立西江小学校校区に移動する。
- 1967年(昭和42年)
- 3月23日 - 廃校式を行う。
- 3月31日 - 廃校。
参考文献
[編集]- 海津町史 通史編 下巻 (海津町 1984年) P.709 - 731
脚注
[編集]- ^ 海津町史通史編下巻P.729 - 731。