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浦戸海軍航空隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浦戸海軍航空隊基地跡と高知海軍第二飛行場跡(1947年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

浦戸海軍航空隊(うらどかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。20000人にも及ぶ空前の志願者を募った予科練甲飛第14期の生徒を教育するため、最後に新設された予科練教育航空隊である。緊急に開隊するために耕作地を収用し、飛行場とバラック兵舎を林立させたものの、正規カリキュラムに移行するまで1ヶ月かかり、その間は生徒も施設構築に従事した。

沿革

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  • 1944年(昭和19年)
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月1日 - 19連空解散。呉鎮守府隷下第21連合航空隊に転籍。土佐湾沿岸防備隊を編制し、陣地構築に従事
    • 4月1日 - 甲飛第16期入隊(最後の予科練生)
    • 6月1日 - 予科練教育凍。陸戦・特攻訓練に教程変更
    • 7月15日 - 解隊

オリンピック作戦コロネット作戦の合間に、陽動のための土佐湾上陸戦が起きることを想定し、海軍は桂浜に程近い浦戸地区に回天震洋を配備するとともに、土佐湾沿岸防備隊を編制して地上戦に備えることとなった。卒業を果たせなかった全生徒は、土佐湾沿岸防備隊に転属を命じられ、地上戦訓練を強いられた。 アメリカ軍は、オリンピック作戦に先立っての陽動作戦として、8万人の大軍をもって1945年10月末に高知県に侵攻する「パステル作戦」を敢行することを決定していた。

主要機種

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教育訓練部隊のため、航空機の配属はない。

歴代司令

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  • 別府明朋 少将[1][2]:昭和19年11月1日[1] - 昭和20年3月1日[2]
  • 山田敏世 大佐[2][3]:昭和20年3月1日[2] - 昭和20年7月15日[3]解隊

脚注

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関連項目

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参考文献

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  • 『日本海軍編制事典』芙蓉書房出版、2003年。
  • 『航空隊戦史』新人物往来社、2001年。
  • 『日本海軍航空史2』時事通信社、1969年。
  • 戦史叢書 海軍航空概史』朝雲新聞社、1976年。
  • 『海軍飛行豫科練習生1』国書刊行会、1983年。
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』アテネ書房、1996年。