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浅野順平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅野 順平
あさの じゅんぺい
浅野順平の肖像写真
生年月日 1856年1月21日
出生地 加賀国河北郡高松村
(現:石川県かほく市高松)
没年月日 (1925-09-23) 1925年9月23日(69歳没)
所属政党立憲改進党→)
進歩党→)
憲政党→)
憲政本党→)
憲政会

選挙区石川県第3区→)
石川県郡部選挙区→)
石川県第4区
当選回数 8回
在任期間 1890年7月1日 - 1891年12月25日
1894年3月1日 - 1894年6月2日
1898年3月15日 - 1902年8月10日
1903年3月1日 - 1908年3月1日
1917年4月20日 - 1924年1月31日

選挙区 河北郡選挙区
当選回数 6回
在任期間 1880年8月 - 1890年7月
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浅野 順平(あさの じゅんぺい、1856年1月21日安政2年12月14日[1]) – 1925年大正14年)9月23日[2])は、日本の衆議院議員

経歴

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加賀国河北郡高松村(現在の石川県かほく市)に浅野平七の五男として生まれ、1880年明治13年)より石川県会議員を6期務めた[3]1885年(明治18年)、第四高等中学校(のち第四高等学校金沢大学の前身)の設置にあたって、北陸四県連合会議員に就任し、金沢への誘致を成功に導いた[4]

1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は8回を数えた。

また、金沢電気株式会社取締役、北陸新聞社長などを兼ねた[4]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、24頁。
  2. ^ 故浅野順平位記追賜ノ件
  3. ^ 『衆議院議員列伝』
  4. ^ a b 『衆議院要覧』

参考文献

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  • 山崎謙『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。 
  • 『衆議院要覧下巻 大正六年十一月』衆議院事務局、1917年。