浅野長尚
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 正保元年(1644年) |
死没 | 寛文6年7月28日(1666年8月28日) |
別名 | 松千代、又六郎(通称) |
戒名 | 顔哲日容浄心院 |
墓所 | 日通寺 |
官位 | 従五位下和泉守 |
藩 | 備後三次藩世嗣 |
氏族 | 浅野氏 |
父母 |
父:浅野光晟、母:自昌院 養父:浅野長治 |
兄弟 | 綱晟、長尚、長照、市、亀、久 |
浅野 長尚(あさの ながなお)は、江戸時代前期の備後国三次藩の世嗣。通称は松千代、又六郎。官位は従五位下・和泉守。
略歴
[編集]安芸国広島藩主・浅野光晟の次男として誕生。母は前田利常の3女・自昌院(満姫)。
浅野本家の家督は兄・綱晟が継いだため、長尚は明暦元年(1655年)に三次藩主・浅野長治の養子に入った。4月15日、4代将軍・徳川家綱に初御目見する。万治元年(1658年)12月27日には従五位下・和泉守に叙任された。しかしそのあと病にかかり、広島城に戻って養生していたが、そのまま回復せずに寛文6年(1666年)7月28日に広島で死去した。享年23。安芸国の日通寺に葬られた。法名は顔哲日容浄心院。
その後、弟・長照が養嗣子に入って家督を継いだ。