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浅野忠綏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
浅野 忠綏
時代 江戸時代
生誕 元禄15年9月27日1702年11月16日
死没 宝暦8年2月22日1758年3月31日
別名 通称:甲斐
墓所 広島県三原市本町妙正寺
主君 浅野吉長宗恒
安芸広島藩家老
氏族 浅野氏
父母 父:浅野忠義
兄弟 忠綏忠正
忠晨忠愛高景
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浅野 忠綏(あさの ただやす)は、江戸時代中期の安芸国広島藩家老三原浅野家第5代。

略歴

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元禄15年(1702年)9月27日、三原浅野家第4代忠義の次男として安芸広島に生まれる。享保15年(1730年)1月10日、忠義が死去したため、2月1日に家督を相続した。

享保17年(1732年)の享保の大飢饉の際に、三原領内でも餓死者を約200人出し、領民のために城から救い米を拠出した。12月、藩主浅野吉長左少将任官の謝恩使となる。

宝暦8年(1758年)2月22日、広島で死去、享年57。菩提寺の妙正寺に葬られた。長男の忠晨が家督を相続した。

参考文献

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