浅野安子
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浅野 安子 (安子女王) | |
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安芸国広島藩浅野家 | |
1920年(19歳) | |
続柄 | 山階宮菊麿王第1王女子 |
全名 | 浅野 安子(あさの やすこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
出生 |
1901年10月31日 日本・東京府東京市 |
死去 |
1974年12月29日(73歳没) 日本・東京都港区、東京慈恵会医科大学附属病院 |
配偶者 | 浅野長武 |
子女 |
浅野長愛 山階芳正 徳川頼子 |
父親 | 山階宮菊麿王 |
母親 | 菊麿王妃範子 |
栄典 |
勲二等宝冠章 |
浅野 安子(あさの やすこ、1901年〈明治34年〉10月31日 - 1974年〈昭和49年〉12月29日)は、日本の元皇族。華族。山階宮菊麿王と同妃範子の第1王女子。浅野長武侯爵夫人。旧名は、安子女王(やすこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。母・範子は九条家の出身であり、貞明皇后の姪、昭和天皇の母方の従妹、香淳皇后の母方の従姉にあたる。
経歴
[編集]1901年(明治34年)10月31日、山階宮菊麿王のと同妃範子の第1王女子(長女)として誕生する。母・範子妃は安子女王を出産した後に体調を崩し、薨去している。範子妃の死後、菊麿王の後妻である常子妃に兄2人と共に育てられた。1920年(大正9年)11月9日、 侯爵(安芸国広島藩)浅野長之の長男・浅野長武に降嫁する[1]。その後、1男2女をもうける。1974年(昭和49年)12月29日、脳軟化症のため、東京慈恵会医科大学附属病院にて死去[1]。73歳没。
栄典
[編集]血縁
[編集]- 父:山階宮菊麿王
- 母:実母:範子、継母:常子
- 兄弟:(同母)武彦王 - 芳麿王 - 安子女王 - (異母)藤麿王 - 萩麿王 - 茂麿王
- 夫:浅野長武
- 子女:長愛(山階鳥類研究所元理事長) - 芳正(山階芳麿養子) - 頼子(徳川圀斉夫人)
脚注
[編集]- ^ a b “皇族一覧(山階宮) ― 貴人の黄昏(旧皇族家の人々)”. kyukouzoku.web.fc2.com. 2022年12月25日閲覧。
- ^ 『官報』第2477号「叙任及辞令」1920年11月3日。