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浅見敏彦 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅見 敏彦
生誕 1891年11月16日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1973-08-05) 1973年8月5日(81歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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浅見 敏彦(あさみ としひこ、旧字体淺見敏󠄀彥1891年明治24年)11月16日[1] - 1973年昭和48年)8月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1890年(明治24年)に山口県で生まれた[1]陸軍士官学校第25期卒業[1]1938年(昭和13年)7月15日陸軍歩兵大佐進級と同時に中支那派遣軍司令部附となり[2]日中戦争に出動[1]1939年(昭和14年)9月に第11軍司令部附となり[2]1940年(昭和15年)7月に歩兵第1連隊長(関東軍第4軍第1師団)に就任し[1][2]孫呉に駐屯した[1]

1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]、第24歩兵団長(第5軍第24師団)に着任[1]東安に駐屯して守備に任じた[1]1944年(昭和19年)3月1日留守第55師団兵務部長に転じ[1]11月2日に独立歩兵第1旅団長(北支那方面軍第43軍)に就任[1]山東省莒県周辺の治安粛正に任じ、終戦を迎えた[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 福川 2001, 26頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 339頁.
  3. ^ 北支那方面部隊略歴(その3)/分割4」 アジア歴史資料センター Ref.C12122434400 
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026