洪儒
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洪儒 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 홍유 |
漢字: | 洪儒 |
洪儒(朝鮮語: 홍유)または洪殷悦(朝鮮語: 홍은열)は、高麗王朝の開国功臣の一人。朝鮮氏族の義城洪氏、南陽洪氏(唐洪系)の始祖である[1]。
人物
[編集]義城府出身。918年、庾黔弼とともに清州豪族の離反を阻止し、919年には礼山県に流民を定着させた。936年、後百済軍との戦いで功を挙げ、卜智謙、裵玄慶、朴述熙、申崇謙らとともに開国一等功臣に列して、太祖王建の廟庭に祀られた。
祖先の洪天河は動乱のため新羅に帰化した。初名は「弘述」であった。王建は、中国殷の名宰相の傅説のようだとして、殷悦という名前を下賜した。
脚注
[編集]- ^ “홍씨(洪氏) 본관(本貫) 남양(南陽)-당홍계(唐洪系)입니다.”. www.findroot.co.kr. 2022年7月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 金光林 (2014年). “A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names” (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 19. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。
- 「アジア人物史 3」 集英社 2023年