津秋主
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津 秋主(つ の あきぬし、生年不詳 - 宝亀4年閏11月15日(774年1月1日))は、奈良時代の貴族。姓は史のち連。官位は従四位下・造西大寺次官。勲等は勲六等。
経歴
[編集]右兵衛府少直を経て、聖武朝末の天平20年(748年)外従五位下に叙せられる。天平宝字2年(758年)8月の淳仁天皇即位後まもなく、秋主ら一族34人が以下を言上し史姓から連姓に改姓する。同年11月には内位の従五位下に叙せられた。
天平宝字7年(763年)尾張介に任ぜられるが、翌天平宝字8年(764年)9月に発生した藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に付いたらしく、同月中に従五位上次いで正五位下と二階昇進し、10月には尾張守に昇格した。天平神護元年(765年)乱での功労により勲六等の叙勲を受け、天平神護2年(766年)従四位下に至った。
光仁朝の宝亀4年(773年)5月造西大寺次官に任ぜられるが、同年閏11月15日卒去。最終官位は造西大寺次官従四位下。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位下
- 天平17年(745年) 4月21日:見右兵衛府少直[1]
- 時期不詳:正六位上
- 天平20年(748年) 正月7日:外従五位下
- 天平宝字2年(758年) 8月27日:史姓から連姓に改姓。11月18日:従五位下(内位)
- 天平宝字7年(763年) 4月14日:尾張介
- 天平宝字8年(764年) 9月13日:従五位上。9月20日:正五位下。10月20日:尾張守
- 天平神護元年(765年) 正月7日:勲六等
- 天平神護2年(766年) 6月3日:従四位下
- 神護景雲3年(769年) 10月頃:見尾張守[2]
- 宝亀4年(773年) 5月19日:造西大寺次官。閏11月15日:卒去(造西大寺次官従四位下)