津村紀三子
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つむら きみこ 津村 紀三子 | |
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本名 | 大内 しげ |
別名義 | 津村 君子 |
生年月日 | 1902年8月16日 |
没年月日 | 1974年4月12日(71歳没) |
出生地 | 日本・兵庫県明石市 |
国籍 | 日本 |
職業 | 能楽師 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1910年 - 1974年 |
活動内容 |
女性初の能楽師範 1921年 京城(現ソウル)演能 1948年 能楽協会登録 |
配偶者 | 大内正美 |
著名な家族 | 兄:津村京村 |
主な作品 | |
新作能 『文がら』、他十曲 |
生涯
[編集]1902年(明治35年)、兵庫県明石市生まれ。本名しげ。婚姻前の呼名は「津村君子」。兄は劇作家の津村京村。7歳頃から謡曲を習いはじめ、1921年(大正10年)、観世華雪に師事。東京と朝鮮を往復しながら釜山・京城(現・ソウル)で謡曲・仕舞を教え、京城で「羽衣」「菊慈童」などを演能した。しかしながら、当時の能楽界は女人禁制とされており、女性による演能は許されていなかったため、師から破門されることとなった。以後、非公式ではあるが東京・釜山・京城などで活動を続けた。
1939年(昭和14年)大槻十三門で正式に能楽界へ復帰。女性で初めて師範の免状を受ける。「猩々乱」披曲、準職分認定。大内正美と結婚。1948年(昭和23年)、女性の能楽協会への加入が認められた事を受けて、社団法人能楽協会に会員登録。1950年(昭和25年)「道成寺」を披く。同年肺結核に侵されるが、病床で新作能を手掛ける。1956年(昭和31年)再起。緑泉会の後継者を育てながら新作能を発表し、演能活動を続けた。1974年(昭和49年)死去、享年72。近現代能楽史における女性能楽師の先駆者とも評されている。