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津川昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

津川 昭(つがわ あきら、1951年8月3日 - )は、奈良県出身の元ハンドボール選手、指導者。日本がボイコットした1980年モスクワオリンピックハンドボール全日本男子代表。元全日本男子代表監督。

来歴

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奈良県立生駒高等学校大阪経済大学出身[1]。大学時代は全日本大学選手権でベスト4に入る。

卒業後、湧永製薬に入社。同社ハンドボール部(ワクナガレオリック)に所属。

全日本では、1976年のモントリオール五輪では最終選考で外された。1978年デンマークで行われた世界選手権に出場。1979年には全日本の主将となり、翌1980年のモスクワ五輪代表でもあった[1]。1982年西ドイツで行われた世界選手権にも出場した。

また指導者としても活躍、1983年から選手兼任として湧永ハンドボール部監督、その後はハンドボール部部長を務めた[1]。1989年から1992年まで全日本監督を兼任した[1]。1993年から日本ハンドボール協会入り、男子強化委員長に就任し[2]、以降協会役員などで活躍している。

脚注

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  1. ^ a b c d 奈良県立生駒高校同窓会 (1990年3月30日). “活躍する卒業生”. 2009年8月23日閲覧。
  2. ^ 奈良県立生駒高校同窓会 (1993年4月5日). “生駒高校創立30周年記念事業”. 2009年8月23日閲覧。

関連項目

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先代
木野実
湧永製薬監督
(1983年-1985年)
次代
山本伸二