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津山朝日新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
津山朝日新聞
種類 日刊紙/夕刊 月刊紙
サイズ ブランケット判(日刊紙/夕刊) タブロイド版(月刊紙)

事業者 津山朝日新聞社
本社 岡山県津山市
代表者 代表取締役社長 福田邦夫
創刊 1910年7月1日
前身 作陽新聞
備作新聞
言語 日本語
価格 1部 100円
月極 2,100円
発行数 1万部
ウェブサイト https://tsuyamaasahi.co.jp/
株式会社 津山朝日新聞社
Tsuyama Asahi Shinbun Corporation
本社所在地 日本の旗 日本
〒708-0052
岡山県津山市田町13
事業内容 日刊紙発行
設立 1910年
業種 情報・通信業
資本金 1,000万円
従業員数 50人
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津山朝日新聞(つやまあさひしんぶん)は岡山県津山市に本社を置く株式会社津山朝日新聞社(つやまあさひしんぶんしゃ)が発行する新聞。全国紙の朝日新聞とは資本関係はない。

概要

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理念は「正邪を明らかにし、不偏不党、もって中庸の報道により地域文化の進展に寄与せんとす」。

日刊発行の夕刊紙で、紙面は津山市を中心に、美作地域に密着した記事で構成。エリアでは「津山朝日(つやまあさひ)」の名称で親しまれてきた。

記事は事件・事故・災害をはじめ、市町村行政の動向、市民団体の活動、学校や町内の行事、経済、歴史、文化、スポーツ、イベントなど多岐にわたる。四季折々の風景や話題の人物なども紹介している。コラムは主に身近な話題を題材にしている「東西南北」。ブランケット判で通常4ページ、月額2,100円、1部売り100円(日曜休刊)。

  • 所在地岡山県津山市田町13番地
  • 代表取締役社長  福田邦夫
  • 創業 明治43年
  • 資本金 1,000万円
  • 従業員 50人

沿革

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  • 1910年(明治43年) - 「作陽新聞」が苫田郡津山町鉄砲町にて創刊。
  • 1911年(明治44年) - 同町堺町に移転、「備作新聞」に改題。
  • 1915年(大正04年) - 同町田町に移転、社屋新築。
  • 1919年(大正08年) - 美作新聞と合併「津山朝日新聞」に改題、隔日刊になる。
  • 1921年(大正10年) - 日刊になる。
  • 1927年(昭和02年) - 二代目社長・福田卓也就任
  • 1939年(昭和14年) - 「津山毎日新聞」、「作州日報」と合併。
  • 1941年(昭和16年) - 一県一紙の国策により、合同新聞(現:山陽新聞)に吸収合併され、第7000号で休刊する。
  • 1946年(昭和21年) - 二代目社長・福田卓也により復刊。第7001号から紙齢(号数)を継承。
  • 1954年(昭和29年) - 「作州日報」を合併、田町に移転。
  • 1974年(昭和49年) - オフセット輪転機を設置
  • 2002年(平成14年) - 三代目社長・福田益之就任
  • 2007年(平成19年) - CTP導入
  • 2008年(平成20年) - 四代目社長・福田邦夫就任
  • 2010年(平成22年) - 創刊100周年を迎える
  • 2014年(平成26年) - 月刊紙版を創刊[1]
  • 2021年(令和03年)12月4日 - 日刊紙の紙齢が3万号に達する[1]

脚注

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  1. ^ a b 「本紙きょう3万号」『津山朝日新聞』2021年12月4日付、1面。

関連項目

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外部リンク

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