津山朝日新聞
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津山朝日新聞 | |
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種類 | 日刊紙/夕刊 月刊紙 |
サイズ | ブランケット判(日刊紙/夕刊) タブロイド版(月刊紙) |
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事業者 | 津山朝日新聞社 |
本社 | 岡山県津山市 |
代表者 | 代表取締役社長 福田邦夫 |
創刊 | 1910年7月1日 |
前身 |
作陽新聞 備作新聞 |
言語 | 日本語 |
価格 |
1部 100円 月極 2,100円 |
発行数 | 1万部 |
ウェブサイト | https://tsuyamaasahi.co.jp/ |
株式会社 津山朝日新聞社 Tsuyama Asahi Shinbun Corporation | |
本社所在地 |
日本 〒708-0052 岡山県津山市田町13 |
事業内容 | 日刊紙発行 |
設立 | 1910年 |
業種 | 情報・通信業 |
資本金 | 1,000万円 |
従業員数 | 50人 |
津山朝日新聞(つやまあさひしんぶん)は岡山県津山市に本社を置く株式会社津山朝日新聞社(つやまあさひしんぶんしゃ)が発行する新聞。全国紙の朝日新聞とは資本関係はない。
概要
[編集]理念は「正邪を明らかにし、不偏不党、もって中庸の報道により地域文化の進展に寄与せんとす」。
日刊発行の夕刊紙で、紙面は津山市を中心に、美作地域に密着した記事で構成。エリアでは「津山朝日(つやまあさひ)」の名称で親しまれてきた。
記事は事件・事故・災害をはじめ、市町村行政の動向、市民団体の活動、学校や町内の行事、経済、歴史、文化、スポーツ、イベントなど多岐にわたる。四季折々の風景や話題の人物なども紹介している。コラムは主に身近な話題を題材にしている「東西南北」。ブランケット判で通常4ページ、月額2,100円、1部売り100円(日曜休刊)。
沿革
[編集]- 1910年(明治43年) - 「作陽新聞」が苫田郡津山町鉄砲町にて創刊。
- 1911年(明治44年) - 同町堺町に移転、「備作新聞」に改題。
- 1915年(大正 4年) - 同町田町に移転、社屋新築。
- 1919年(大正 8年) - 美作新聞と合併「津山朝日新聞」に改題、隔日刊になる。
- 1921年(大正10年) - 日刊になる。
- 1927年(昭和 2年) - 二代目社長・福田卓也就任
- 1939年(昭和14年) - 「津山毎日新聞」、「作州日報」と合併。
- 1941年(昭和16年) - 一県一紙の国策により、合同新聞(現:山陽新聞)に吸収合併され、第7000号で休刊する。
- 1946年(昭和21年) - 二代目社長・福田卓也により復刊。第7001号から紙齢(号数)を継承。
- 1954年(昭和29年) - 「作州日報」を合併、田町に移転。
- 1974年(昭和49年) - オフセット輪転機を設置
- 2002年(平成14年) - 三代目社長・福田益之就任
- 2007年(平成19年) - CTP導入
- 2008年(平成20年) - 四代目社長・福田邦夫就任
- 2010年(平成22年) - 創刊100周年を迎える
- 2014年(平成26年) - 月刊紙版を創刊[1]
- 2021年(令和[1] 3年)12月4日 - 日刊紙の紙齢が3万号に達する