洞院実清
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時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 正平14年/延文4年(1359年)8月? |
別名 | 冷泉実清 |
官位 | 大納言(南朝) |
主君 | 後醍醐天皇→後村上天皇 |
氏族 | 洞院家 |
父母 | 父:洞院公敏、母:正親町三条公貫の娘 |
兄弟 | 実清、実遍、慈静、尊玄、大納言局ら |
洞院 実清(とういん さねきよ)は、南北朝時代の公卿。冷泉実清とも。権大納言・洞院公敏の子。官位は大納言。南朝に仕えた。
経歴
[編集]後醍醐天皇の忠臣である父・公敏が元弘の乱に坐して出家したため、これを継いで南朝に参仕した。『尊卑分脈』の尻付には「左中将正四下、参南朝」とだけ記されているから、公卿としての官途は南朝における叙任と考えられよう。正平6年/観応2年(1351年)正平一統時には権中納言であり[1]、翌正平7年(1352年)正月の叙位で従二位に昇叙[2]。同年5月八幡の戦いで敗れて男山が陥落した際、洞院実世や四条隆俊らと共に河内国東条へ落ち延びている[3]。
正平8年/文和2年(1353年)賀名生で催された『内裏千首』に詠進。正平9年/文和3年(1354年)12月には既に大納言へ進んでいたが[4]、その後の消息は不明である。正平14年/延文4年(1359年)8月の筑後川の戦いで懐良親王に従軍して討死した「洞院権大納言」[5]とはあるいは実清のことかと思われるが、確証はない。和歌は、『新葉和歌集』に2首入集する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大日本史料』6編16冊、正平7年5月11日条
- 小木喬 『新葉和歌集―本文と研究』 笠間書院、1984年、ISBN 9784305101815
- 市古貞次監修 『国書人名辞典 第3巻』 岩波書店、1996年、ISBN 9784000800839