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洞町

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日本 > 愛知県 > 岡崎市 > 洞町
洞町
八柱神社
八柱神社
洞町の位置(愛知県内)
洞町
洞町
洞町の位置
北緯34度56分53.03秒 東経137度12分2.72秒 / 北緯34.9480639度 東経137.2007556度 / 34.9480639; 137.2007556
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 岡崎市
地区 大平地区
面積
 • 合計 1.820886926 km2
人口
2019年令和元年)5月1日現在)[2]
 • 合計 2,774人
 • 密度 1,500人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
444-0008[3]
市外局番 0564(岡崎MA[4]
ナンバープレート 岡崎

洞町(ほらちょう)は、愛知県岡崎市大平地区の町名。丁番を持たない単独町名であり、35の小字が設置されている。

地理

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岡崎市の地理的中央からやや西にずれた所に位置する。町域内に小字が配されているが丁番は振られていない。

河川

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湖沼

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  • 広見池
  • 大捨場池
  • 新池
  • 薬師池
  • 七ツ池1号
  • 七ツ池2号
  • 七ツ池3号
  • 長沼池
  • 新池

小字

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  • 字池ノ入(いけのいり)
  • 字大久後(おおくご)
  • 字大河内(おおこうち)
  • 字大洞(おおぼら)
  • 字鎌峠(かまとげ)
  • 字上荒田(かみあらた)
  • 字清シ木(きよしぎ)
  • 字五位原(ごいはら)
  • 字権現(ごんげん)
  • 字下荒田(しもあらた)
  • 字下河原(しもがわら)
  • 字白羽根(しらばね)
  • 字新池(しんいけ)
  • 字菅沼(すがぬま)
  • 字田面(たおも)
  • 字鷹野(たかの)
  • 字塚廻り(つかまわり)
  • 字寺前(てらまえ)
  • 字長沼(ながぬま)
  • 字七ツ池(ななついけ)
  • 字西浦(にしうら)
  • 字西奥洞(にしおくぼら)
  • 字西五位原(にしごいはら)
  • 字西丸根(にしまるね)
  • 字八王子(はちおうじ)
  • 字東奥洞(ひがしおくぼら)
  • 字東前田(ひがしまえだ)
  • 字東丸根(ひがしまるね)
  • 字細田(ほそだ)
  • 字本郷(ほんごう)
  • 字的場(まとば)
  • 字宮ノ腰(みやのこし)
  • 字向山(むかいやま)
  • 字山ノ田(やまのた)
  • 字山狭(やまばさみ)

世帯数と人口

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2019年令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁 世帯数 人口
洞町 1,331世帯 2,774人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移

1995年(平成7年) 2,871人 [5]
2000年(平成12年) 3,026人 [6]
2005年(平成17年) 3,241人 [7]
2010年(平成22年) 3,246人 [8]
2015年(平成27年) 3,212人 [9]

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]

番・番地等 小学校 中学校 高等学校
全域 岡崎市立男川小学校 岡崎市立美川中学校 三河学区

歴史

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ほらむら
洞村
廃止日 1889年10月1日
廃止理由 新設合併
大平村、丸山村、小美村
高隆寺村、洞村、欠村 → 男川村
現在の自治体 岡崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
額田郡
隣接自治体 額田郡
高隆寺村欠村
小呂村大平村丸山村
洞村役場
所在地 愛知県額田郡洞村
ウィキプロジェクト
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額田郡洞村を前身とする。

沿革

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史跡

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  • 向山第1号墳
  • 向山第2号墳
  • 向山第3号墳
  • 向山第4号墳
  • 向山第5号墳
  • 向山第6号墳
  • 宮ノ腰第1号墳
  • 宮ノ腰第2号墳
  • 白羽根第1号墳
  • 白羽根第2号墳
  • 白羽根第3号墳
  • 白羽根第4号墳
  • 白羽根遺跡
  • 田面遺跡
  • 細田遺跡
  • 銅鐸出土地

交通

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施設

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ギャラリー

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その他

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日本郵便

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1960年昭和35年)頃(1958年(昭和33年)とする資料もあり[14])、宗教法人「三五教」は洞町字新池に「国治(くにはる)天文台」を建てた。本舎の160ミリ屈折赤道儀式望遠鏡のドームは和風の屋根になっていて、星にあわせてドームを動かすと屋根ごと回った。1961年(昭和36年)1月28日、三五教は財団法人国際文化交友会を設立[15]。以後、国治天文台は同財団法人によって管理運営された。宿泊施設やテント場も併設されていた。都市化が進み、夜空が明るくなったことから、2005年平成17年)頃に閉鎖された。2009年(平成21年)12月初め、建物跡地(約1,500平方メートル)が市に寄付された[16][17][18][19][14]

出典

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  1. ^ 愛知県岡崎市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年5月19日閲覧。
  2. ^ a b 支所・町別人口・世帯集計表(各月1日現在)” (XLS). 岡崎市(統計ポータルサイト) (2019年5月1日). 2019年5月19日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年5月19日閲覧。
  5. ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  6. ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  7. ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  8. ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  9. ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  10. ^ 岡崎市立小中学校通学区域”. 岡崎市 (2018年6月9日). 2019年5月19日閲覧。
  11. ^ 新編岡崎市史編さん委員会 1993, p. 644.
  12. ^ 新編岡崎市史編さん委員会 1993, p. 645.
  13. ^ 「交通量調査位置図」岡崎市
  14. ^ a b リバーシブル』1982年8月号、17-26頁、「スタートリップ 国治天文台にて」。
  15. ^ 公益財団法人国際文化交友会”. CANPAN. 日本財団 (2022年5月10日). 2023年1月26日閲覧。
  16. ^ 岡崎市議会 平成22年6月 定例会 06月03日-10号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  17. ^ 岡崎市議会 平成3年6月 建設常任委員会 06月18日-01号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  18. ^ 『天文月報』1978年7月号”. 日本天文学会. 2023年1月26日閲覧。
  19. ^ 相坂穣「岡崎市 旧国治天文台跡地整備へ 静岡の宗教法人1500平方メートル寄付 展望台や散策路」 『中日新聞』2010年1月7日付朝刊、西三河版、16面。
  20. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年5月18日閲覧。

参考資料

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 
  • 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9 
  • 新編岡崎市史編さん委員会 編『新編岡崎市史 総集編 20』1993年。 

関連項目

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外部リンク

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