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沼田麝香

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
細川幽斎夫人像

沼田 麝香(ぬまた じゃこう、天文13年(1544年) - 元和4年7月26日1618年9月14日[1][2])は、戦国時代の女性。細川藤孝(幽斎)正室。父は若狭国熊川城沼田光兼

生涯

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永禄5年(1562年)頃に藤孝に嫁いだ。永禄6年(1563年)に嫡子・忠興を出産。藤孝は側室を持たず、その後も麝香との間に興元、伊也、幸隆、於千、孝之、加賀子、小栗らを生んだ。

慶長5年(1600年)、忠興の正室・ガラシャが西軍の人質となるのを拒み自害(小笠原少斎に胸を突かせたとも)。その行動に影響を受けて、翌年、洗礼を受けることとなる。

また、この年の田辺城の戦いにおいては息子の留守を守るため、具足を付け夫ともに奮戦した。

慶長6年(1601年)に息子忠興の家臣小倉入部に影響され受洗。洗礼名はマリア。通称は夫の苗字を洗礼名の上に付け細川マリアと呼ばれる。

元和4年(1618年)7月26日に死去。享年75。戒名は光寿院殿華岳宗英大禅定尼。墓所は京都市左京区南禅寺天授院。なお、肖像画は3種類存在する。

一族

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脚注

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出典

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  1. ^ 阿部 & 西村 1987, p. 695.
  2. ^ 戸田 1982, p. 306.

参考文献

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  • 阿部猛西村圭子 編『戦国人名事典』新人物往来社、1987年3月10日。ISBN 4-404-01412-0 
  • 新人物往来社『日本女性史「人物」総覧』新人物往来社〈別冊歴史読本78 事典シリーズ30〉、1996年12月。ISBN 4-404-02439-8 
  • 戸田敏夫『戦国 細川一族─細川忠興と長岡与五郎興秋─』新人物往来社、1982年2月10日。 NCID BN08468500 
  • 日外アソシエーツ編集部 編集『日本史人物生没年表』日外アソシエーツ、1997年12月。ISBN 4-8169-1467-6 

関連項目

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外部リンク

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