コンテンツにスキップ

沼田恒夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沼田恒夫
ぬまた つねお
生年月日 1895年3月29日
出生地 愛媛県大洲市
没年月日 (1967-04-09) 1967年4月9日(72歳没)
出身校 大洲中学校(旧制)
前職 愛媛県職員
今治市助役
称号 勲五等瑞宝章

日本の旗 愛媛県今治市
在任期間 1943年 - 1946年

当選回数 2回
在任期間 1954年 - 1962年
テンプレートを表示

沼田 恒夫(ぬまた つねお、1895年3月29日 - 1967年4月9日)は、日本政治家。元愛媛県大洲市長、今治市長。

経歴

[編集]

旧制大洲中学校(現:愛媛県立大洲高等学校)卒業。喜多郡役所書記を経て、1939年愛媛県属となり、地方課長・商工課長などを歴任した[1]1942年に今治市長阿部秀太郎に招かれて助役になり、1943年12月今治市長に就任して戦時下の市政を担当した[1]。敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の政令第3号によって市長職を離れた[2]

1954年に大洲市長選挙に立候補し元菅田村村長の有友寿次郎を破り初当選、初代大洲市長に就任した。1958年の市長選挙において無投票で当選を果たし、2選。3選を目指し、1962年の大洲市長選挙に立候補したが新人で愛媛県議会議員森永冨茂に破れ落選。市長在任中は鹿野川ダムの整備や肱川において鵜飼いなどを手がけている。

1964年には愛媛県公安委員に就任[3]1967年4月9日狭心症にて死去[3]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 愛媛県史 人物 - えひめの記憶、2021年2月21日閲覧。
  2. ^ 市川虎彦「伝統的地方小都市の政治:愛媛県大洲市の戦後政治」『松山大学論集』第21巻第3号、松山大学総合研究所、2009年8月、43-73頁、ISSN 09163298NAID 110009456548 
  3. ^ a b 大洲市役所(1967)『広報おおず』、第135号、1頁。