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河鰭公陳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
河鰭公陳
時代 江戸時代後期
生誕 安永2年9月4日1773年10月19日
死没 文政2年8月22日1819年10月10日
官位 従二位参議
主君 光格天皇
氏族 中山家河鰭家
父母 父:中山愛親、母:今城定種の娘
養父:河鰭実祐
兄弟 忠尹公陳、砥豫子(藤波寛忠室)、績子(高松局、仁孝天皇典侍)、娘(野宮定静室)、娘(今城定成室)
養子:実清実利
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河鰭 公陳(かわばた きんつら)は、江戸時代後期の公卿。父は権大納言中山愛親。権大納言河鰭実祐(1758年-1832年)の養子となる。実子はなく、養子に河鰭実清(権大納言飛鳥井雅威の子だが、17歳で夭折)・河鰭実利(右近少将持明院基敦の子。1800年 - 1850年)がいる。

経歴

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文化2年(1805年)12月8日に従三位に叙せられる。文化12年(1815年参議となり、その後、従二位左近権中将まで昇進した。文政2年(1819年)8月22日、47歳で薨去した。

系譜

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参考文献

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  • 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
  • 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。