コンテンツにスキップ

河田末三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河田 末三郎
生誕 1891年5月29日
日本の旗 日本 愛知県
死没 (1982-10-25) 1982年10月25日(91歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

河田 末三郎(かわた すえさぶろう、1891年明治24年)5月29日[1] - 1982年昭和57年)10月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将位階従四位[2]

経歴

[編集]

1891年(明治24年)に愛知県で生まれた。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第35期卒業[3]

1933年(昭和8年)に陸軍省軍務局防備課高級課員を経て[4]1936年(昭和11年)に工兵第7連隊長に就任[4]1937年(昭和12年)陸軍工兵大佐に進級し、1938年(昭和13年)に関東軍第2別班長に就任[4]1940年(昭和15年)に陸軍少将に進級し[4]1941年(昭和16年)に関東軍築城部長[3]1942年(昭和17年)に関東軍水上司令官を経て[3]1943年(昭和18年)3月に陸軍工兵学校長に就任し[3]、同年6月に陸軍中将に進級[3]

1944年(昭和19年)3月に工兵監に転じ[3]、同年7月に第73師団長に親補された[3]本土決戦に備え、渥美半島浜名湖周辺に迎撃兵団として展開したが、終戦を迎えた[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

[編集]
外国勲章佩用允許

脚注

[編集]
  1. ^ a b 福川 2001, 234頁.
  2. ^ a b 佐藤徳外十六名外国勲章記章受領及佩用允許の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504000 
  3. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 235頁.
  4. ^ a b c d 外山 1981, 334頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026