池田 輝言(いけだ てること)は、江戸時代中期の備中国鴨方藩の世嗣。通称は釆女。
池田軌隆(岡山藩主・池田綱政の九男)の次男として誕生した。
享保元年(1716年)、岡山藩支藩の生坂藩主・池田政倚の養嗣子となり、享保6年(1721年)徳川吉宗に拝謁する。しかし、病のため享保10年(1725年)に廃嫡された。
代わって実弟の軌明が嫡子となった。