池田幸太郎 (首長)
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池田幸太郎(いけだ こうたろう、1904年3月4日 - 1989年8月14日[1][2][3])は、日本の政治家・官僚・薬剤師。北海道旭川市出身。1925年東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)卒。北海道名寄市市長(1958年 - 1974年)。名寄市名誉市民。
人物・来歴
[編集]1925年内務省東京衛生試験所に入所。1929年内務省退官。名寄町で家業である薬局を継ぐ。1951年北海道薬剤師会理事。1952年名寄町商工会議所副会頭に就任。同年、名寄町教育委員会委員にも就任(~1956年)。1955年名寄町議会議員に初当選。1958年名寄市が市制施行後、初となる市長選出馬し、名寄市長に初当選。連続3期を務め、1974年同市長を勇退。同年、名寄女子短期大学非常勤講師(薬局運営論)・旭川大学非常勤講師(地方自治論)。1979年名寄女子短期大学・旭川大学の講師を退任。1980年名寄市名誉市民。1981年市立名寄短期大学名誉校友に選ばれる。
温厚篤実な性格で、責任感の強い人物だったという。
主な業績
[編集]名寄市を道北の中核都市とするべく、名寄市への企業誘致やピヤシリ山山麓開発、生薬栽培の普及、市民図書館の建設のほか、道北にも高等教育の充実を図るために、1960年に名寄女子短期大学(後の名寄市立大学)の創立に尽力。
受賞歴
[編集]脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.48
- ^ 「名誉市民池田氏逝く 町づくりに限りない足跡」『名寄新聞』1989年8月15日。
- ^ a b 『新名寄市史第3巻』名寄市史編さん委員会、2002年3月29日。
参考文献
[編集]- 『市立名寄短期大学三十年史』(市立名寄短期大学, 1990年)