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池田善蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池田 善蔵
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県
生年月日 (1923-11-15) 1923年11月15日
身長
体重
173 cm
62 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1947年
初出場 1947年4月18日
最終出場 1954年8月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

池田 善蔵(いけだ ぜんぞう、1923年11月15日- 没年不明)は、広島県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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尾道商業から慶應義塾大学に進み、1947年太陽ロビンスへ入団。1年目から開幕投手に起用され完投勝利を飾るなどこの年は7勝を挙げる。1948年金星スターズへ移籍。2年目に2桁勝利となる11勝を挙げる。同年10月2日大阪タイガース戦では藤村富美男に日本で初めてとなるサイクルヒットを打たれている。

1949年にも11勝を挙げた。1952年阪急ブレーブスへ移籍し、1954年引退した。

引退後の翌1955年、尾道商業OBの近藤道念が駒澤大学硬式野球部監督に就任したため、やはり尾道商業OBの野田誠二(太陽他)とともに同野球部コーチに就任[1]。しかしチームの成績不振で半年で解任された。非常に酒が好きで、1年生だった太田誠は池田の酒当番だったという[1]

その後、母校・尾道商業で高校野球の監督を務める。1964年春の甲子園では、投手に小川邦和を擁して決勝戦まで進出し、決勝は尾崎将司のいる海南高校に敗れたものの、初出場ながら準優勝となった。また1968年春の選抜高校野球大会においても準優勝を遂げ、尾道商業高校野球部の全盛期を築いた。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1947 太陽 30 24 15 0 0 7 15 -- -- .318 889 196.0 155 3 164 -- 10 74 3 0 101 72 3.31 1.63
1948 金星
大映
33 23 19 1 0 11 13 -- -- .458 958 229.1 191 7 103 -- 3 80 6 1 83 70 2.74 1.28
1949 41 27 13 1 0 11 17 -- -- .393 1059 233.2 231 28 149 -- 6 103 7 1 140 113 4.35 1.63
1950 17 9 4 1 0 8 4 -- -- .667 380 89.2 77 6 43 -- 2 33 4 0 44 38 3.80 1.34
1951 7 6 0 0 0 0 4 -- -- .000 137 24.2 40 5 18 -- 0 7 1 1 36 24 8.64 2.35
1952 阪急 25 17 1 1 0 5 6 -- -- .455 434 99.1 94 5 51 -- 1 39 5 1 53 47 4.23 1.46
1953 33 14 1 0 0 4 9 -- -- .308 521 125.0 113 5 40 -- 0 42 4 1 50 42 3.02 1.22
1954 9 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 115 24.0 34 1 10 -- 2 6 0 0 18 16 6.00 1.83
通算:8年 195 120 53 4 0 46 68 -- -- .404 4493 1021.2 935 60 578 -- 24 384 30 5 525 422 3.72 1.48
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 金星(金星スターズ)は、1949年に大映(大映スターズ)に球団名を変更

記録

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背番号

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  • 9 (1947年)
  • 24 (1948年)
  • 14 (1949年 - 1951年)
  • 20 (1952年 - 1954年)

脚注

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  1. ^ a b 太田誠『球心いまだ掴めず - 駒大太田野球500勝の真実 -』日刊スポーツ出版社、2006年、57-58頁

関連項目

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外部リンク

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