池田三四郎
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池田 三四郎(いけだ さんしろう、1909年(明治42年)5月30日[1] - 1999年(平成11年)12月15日)は、日本の木工家。
経歴
[編集]1909年、長野県松本市に生まれる。旧制松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)を経て、1932年、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)写真科卒業。
1938年、東京で建築写真業「三六工房」を始める。1944年、中央構材工業会社(後の松本民芸家具)設立に参加[2]。
1948年、柳宗悦に師事し、民藝運動に参加。柳の「用の美」の思想を実践。飛騨山脈に自生するミズメ桜、欅などを用いて、松本で指物師に受け継がれていた技術を生かす。その丈夫さは、「スクラップアンドビルド」の風潮に抵抗するもので、和家具にヨーロッパや李朝の家具の技術を取り入れた作品で知られる。
著書
[編集]- 「松本民芸家具」 東峰書房 (昭和41年)
- 「信州の石仏」 東峰書房 (昭和42年)
- 「山麓雑記」 東峰書房 (昭和43年)
- 「松本民芸生活館」 東峰書房 (昭和46年)
- 「木の民芸」 文化出版局 (昭和47年)
- 「民芸の家具」 東峰書房 (昭和48年)
- 「石の民芸」 文化出版局 (昭和49年)
- 「金の民芸」 文化出版局 (昭和52年)
- 「信州の伝統工芸」 信濃毎日新聞社 (昭和54年)(共著)
- 「通俗民芸論」 創生記 (昭和54年)
- 「三四郎の椅子」 文化出版局 (昭和57年)
- 「李朝木工」 東峰書房 (昭和58年)
- 「(改訂)信州の石仏」 東峰書房 (昭和60年)
- 「原点民芸」 用美社 (昭和61年)
- 「民芸美論」 用美社 (昭和63年)
- 「松本民芸家具への道」 沖積舎 (平成2年)
- 「民芸遍歴」 郷土出版社 (平成2年)
- 「続 原点民芸」 用美社 (平成2年)
- 「池田三四郎随筆論文集」 沖積舎 (平成5年)
- 「新版 松本民芸家具」 沖積舎 (平成8年)