池炳学
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池炳学 | |
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生誕 | 1917年5月24日 |
死没 | 1977年2月28日(59歳没) |
所属組織 |
東北抗日聯軍 ソ連軍 東北民主連軍 朝鮮人民軍 |
最終階級 | 上将(人民軍) |
池 炳学(チ・ビョンハク、지병학、池炳學)は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人。満州派。
経歴
[編集]東北抗日連軍に参加。日満軍警の討伐によりソ連領内に逃れるが、しばらくはソ連軍偵察要員として朝鮮国内に潜入していた[1]。第88特別旅団に編入。
終戦後は中国東北部に派遣され、国共内戦に参加。琿春警備大隊副司令(1945年12月)[2]、琿春県警備隊大隊長、吉東保安隊第5団団長、吉林軍区吉東軍分区独立第3団副団長[3]、第156師第466団副団長[4]、独立第15師参謀長を歴任[5]。
1950年、独立第15師は北朝鮮に入国し、人民軍第7師団(第12師団に改称)に改編され、同師団参謀長に就任。
1957年9月、第2軍団長。
1961年9月、労働党中央委員会委員(第4回党大会)[7]。
1962年10月、最高人民会議第3期代議員当選、金日成軍事総合大学総長。
1970年11月、労働党中央委員会委員(第5回党大会)[8]。
1973年、人民武力部副部長。
1976年、金正日を批判していた金東奎を消極的ながらも支持していたため、国家保衛部に連行され、翌年に病死した[9]。
出典
[編集]- ^ 金賛汀『北朝鮮建国神話の崩壊 金日成と「特別狙撃旅団」』、263頁。
- ^ 和田 1992, p. 346.
- ^ “영원한 기념비(32)—길림주변의 전투” (朝鮮語). 吉林新聞. (2011年10月26日) 2018年8月22日閲覧。
- ^ “원한 기념비(68)—장강도하의 단풍전투” (朝鮮語). 吉林新聞. (2013年3月18日) 2018年8月22日閲覧。
- ^ 吉在俊,李尚典『中国国共内戦と朝鮮人部隊の活躍』、41頁。
- ^ “6·25戦争史 第9巻-休戦会談開幕と高地争奪戦” (PDF). 韓国国防部軍事編纂研究所. p. 466. 2018年8月22日閲覧。
- ^ 和田 1992, p. 372.
- ^ 和田 1992, p. 377.
- ^ “(17)저항 받는 후계체제(중) 군·사법부 수뇌들 줄줄이 "산골"로” (朝鮮語). 中央日報. (1993年5月6日) 2018年8月22日閲覧。
参考
[編集]- 和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年。ISBN 4-58-245603-0。