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池炳学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池炳学
生誕 1917年5月24日
死没 (1977-02-28) 1977年2月28日(59歳没)
所属組織 東北抗日聯軍
ソ連軍
東北民主連軍
朝鮮人民軍
最終階級 上将(人民軍)
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池 炳学(チ・ビョンハク、지병학、池炳學)は、朝鮮民主主義人民共和国軍人満州派

経歴

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東北抗日連軍に参加。日満軍警の討伐によりソ連領内に逃れるが、しばらくはソ連軍偵察要員として朝鮮国内に潜入していた[1]第88特別旅団に編入。

終戦後は中国東北部に派遣され、国共内戦に参加。琿春警備大隊副司令(1945年12月)[2]、琿春県警備隊大隊長、吉東保安隊第5団団長、吉林軍区吉東軍分区独立第3団副団長[3]、第156師第466団副団長[4]、独立第15師参謀長を歴任[5]

1950年、独立第15師は北朝鮮に入国し、人民軍第7師団(第12師団に改称)に改編され、同師団参謀長に就任。

1951年、第3軍団(軍団長:柳京洙)第45師団長[6]

1957年9月、第2軍団長。

1961年9月、労働党中央委員会委員(第4回党大会)[7]

1962年10月、最高人民会議第3期代議員当選、金日成軍事総合大学総長。

1970年11月、労働党中央委員会委員(第5回党大会)[8]

1973年、人民武力部副部長。

1976年、金正日を批判していた金東奎を消極的ながらも支持していたため、国家保衛部に連行され、翌年に病死した[9]

出典

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  1. ^ 金賛汀『北朝鮮建国神話の崩壊 金日成と「特別狙撃旅団」』、263頁。 
  2. ^ 和田 1992, p. 346.
  3. ^ “영원한 기념비(32)—길림주변의 전투” (朝鮮語). 吉林新聞. (2011年10月26日). http://kr.chinajilin.com.cn/area/content/2011-10/26/content_69160.htm 2018年8月22日閲覧。 
  4. ^ “원한 기념비(68)—장강도하의 단풍전투” (朝鮮語). 吉林新聞. (2013年3月18日). http://www.jlcxwb.com.cn/cxz/content/2013-03/18/content_104973.htm 2018年8月22日閲覧。 
  5. ^ 吉在俊,李尚典『中国国共内戦と朝鮮人部隊の活躍』、41頁。 
  6. ^ 6·25戦争史 第9巻-休戦会談開幕と高地争奪戦” (PDF). 韓国国防部軍事編纂研究所. p. 466. 2018年8月22日閲覧。
  7. ^ 和田 1992, p. 372.
  8. ^ 和田 1992, p. 377.
  9. ^ “(17)저항 받는 후계체제(중) 군·사법부 수뇌들 줄줄이 "산골"로” (朝鮮語). 中央日報. (1993年5月6日). https://news.joins.com/article/2809325 2018年8月22日閲覧。 

参考

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  • 和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年。ISBN 4-58-245603-0