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池内友彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池内 友彦
名前
愛称 イケ、イケさん
カタカナ イケウチ トモヒコ
ラテン文字 IKEUCHI Tomohiko
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-11-01) 1977年11月1日(47歳)
出身地 北海道石狩郡当別町
身長 181cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1993-1995 日本の旗 室蘭大谷高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2004 日本の旗 鹿島アントラーズ 37 (1)
1998 ブラジルの旗 CFZ
1999-2000 日本の旗 コンサドーレ札幌 19 (2)
2005-2008 日本の旗 コンサドーレ札幌 107 (18)
2009-2010 日本の旗 札大GP 18 (5)
通算 181 (26)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

池内 友彦(いけうち ともひこ、1977年11月1日 - )は、北海道石狩郡当別町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDFでセンターバックとサイドバックを務めた。

来歴

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室蘭大谷高3年時に全国高等学校サッカー選手権大会でベスト8。1996年鹿島アントラーズに入団。同期に柳沢敦平瀬智行がいる。入団当初は右サイドバックでプレーするが、選手層が厚く出番を与えられなかった。当時の鹿島は、鈴木隆行や平瀬に見られるように期待の若手で試合に出られない選手をブラジルに留学させる習慣があり、池内も平瀬と共に留学した。

1998年に一旦鹿島に戻ったもののまたもや出番を得られず、1999年コンサドーレ札幌にレンタル移籍。札幌では岡田武史の指揮下で主に中盤2列目、ボランチ、また本職のサイドバックとしてもプレーしていたが、レギュラーを奪取するには至らなかった。

札幌で2シーズンプレーした後2001年に鹿島に復帰。復帰後初の国内公式戦でセンターバックとして起用され、サポーターを驚かせた。その後は秋田豊のもとで数々の失敗をしつつもディフェンスの技術を磨き、カバーリングの能力が飛躍的に向上。2003年には試合出場も増えレギュラー奪取まであと数歩と迫るが、同年末に秋田が解雇され、チームの方針として同ポジションの金古聖司を育てるというものがあり、またもう一人のレギュラーである大岩剛とのコンビネーションが合わず(大岩も元サイドバックでカバーリングが得意であり、池内とはプレースタイルが重なった)、また、新人DF岩政大樹の台頭もあり、2004年には出場が激減(その後金古も岩政の台頭で出場機会が激減した)。

2005年よりかつて在籍したコンサドーレ札幌へ完全移籍。開幕当初は曽田雄志のレギュラーを奪い、その後も3バックの一角を占めた。またシーズンを通して得点を重ね、J2におけるDF登録選手の年間得点記録を更新する11得点を決め、チーム内得点王となる活躍を見せた。2006年も順調に出場を続けていたが途中足の故障により出場数が減少。2007年は大柄な選手を望む三浦俊也監督の期待に応え、出場数を積み重ねる。2008年11月28日にクラブから、大塚真司らと共に戦力外通告を受ける。その後、J2複数クラブからオファーを受けるものの自身のブログで引退を発表した。

2009年3月4日にコンサドーレ札幌から育成部スタッフ就任、札幌大学へのコーチとしての派遣、同大学の社会人登録チームで日本フットボールリーグ(JFL)入りを目指す札大GOAL PLUNDERERSの選手として所属することが発表された[1]

現在は2015年に開校した、自身のサッカースクールで小中学生に指導する傍ら東海大札幌高でもコーチとして指導している

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 鹿島 - J 0 0 0 0 0 0 0 0
1997 25 0 0 0 0 0 0 0 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1998 CFZ リオ州2部
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 鹿島 20 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1999 札幌 22 J2 7 2 0 0 3 0 10 2
2000 12 0 0 0 4 1 16 1
2001 鹿島 28 J1 8 0 3 0 3 0 14 0
2002 20 14 1 3 0 3 0 20 1
2003 10 0 2 0 0 0 12 0
2004 5 0 3 0 0 0 8 0
2005 札幌 5 J2 33 11 - 1 0 34 11
2006 22 3 - 0 0 22 3
2007 32 2 - 1 0 33 2
2008 J1 20 2 2 0 1 0 23 2
2009[5] 札大GP 12 北海道 8 1 - - 8 1
2010[6] 10 4 - - 10 4
通算 日本 J1 57 3 13 0 7 0 77 3
日本 J2 106 18 0 0 9 1 115 19
日本 北海道 18 5 - - 18 5
ブラジル リオ州2部
総通算

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2002-03 鹿島 20 1 0
通算 AFC 1 0

その他の国際公式戦

指導歴

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  • 2009年 コンサドーレ札幌
    • 2009年 - 2011年 育成部 (札幌大学サッカー部コーチ)
    • 2012年 -2014 U-15 コーチ
  • 2015-東海大札幌高

出典

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  1. ^ 元札幌池内氏、札幌大で兼任コーチ就任”. nikkansports.com (2009年3月5日). 2013年12月20日閲覧。
  2. ^ 池内 友彦、平瀬 智行選手リオ・デ・ジャネイロFCへレンタル移籍』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、1998年2月27日。オリジナルの1998年12月5日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/19981205223352/http://www.nttprintec.co.jp:80/ANT/RELEASE/1998/199802/980227194652.html2018年8月17日閲覧 
  3. ^ 平瀬 智行、池内 友彦両選手レンタル移籍期間満了に伴う帰国のお知らせ』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、1998年10月1日。オリジナルの2000年2月3日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20000203192424/http://www.nttprintec.co.jp:80/ANT/RELEASE/1998/199810/981001195658.html2018年8月17日閲覧 
  4. ^ 池内 友彦選手 鹿島アントラーズへ復帰』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、2000年12月27日。オリジナルの2001年12月26日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20011226004501/http://antlers.port.ne.jp:80/antlers/RELEASE/001227154655.html2018年8月17日閲覧 
  5. ^ 2009年度 北海道サッカーリーグ 得点/アシスト”. 北海道サッカー協会. 2013年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月20日閲覧。
  6. ^ 2010年度 第33回北海道サッカーリーグ 得点/アシスト”. 北海道サッカー協会. 2013年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月20日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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