池ノ上俊一
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名前 | ||||||
カタカナ | イケノウエ シュンイチ | |||||
ラテン文字 | IKENOUE Shunichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年2月16日(57歳) | |||||
出身地 | 鹿児島県 | |||||
身長 | 170cm[1] | |||||
体重 | 70kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1982-1984 | 鹿児島商業高校 | |||||
1985-1988 | 大阪商業大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1989-1990 | 松下電器 | 14 | (2) | |||
1990-1993 | 全日空/横浜フリューゲルス | 33 | (3) | |||
1994-1995 | PJM/鳥栖フューチャーズ | 25 | (2) | |||
通算 | 72 | (7) | ||||
代表歴2 | ||||||
1988-1989 | 日本 | 0 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2005-201x | アミーゴス鹿児島U-18 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 2. 2011年2月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
池ノ上 俊一(いけのうえ しゅんいち、1967年2月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
来歴
[編集]現役時代はMF(攻撃的MF)としてプレー。1989年に松下電器産業サッカー部に入部。横山兼三監督時代の1988年から1989年には日本代表に選出されて国際BおよびCマッチ13試合に出場したが、Aマッチ出場はない。Jリーグ開幕後は横浜フリューゲルス、ジャパンフットボールリーグの鳥栖フューチャーズに在籍した。
引退後は小学生から高校生までの育成年代の指導にあたる。鹿児島城西高校を経て、アミーゴス鹿児島U-18監督を務めた。
2016年1月にV・ファーレン長崎のクラブアドバイザーに就任[2]。同年4月より長崎の運営会社である株式会社V・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任した[3]。2016年度決算で3年ぶりの赤字となる1億4000万円の赤字見通しを示し、経営不振による引責が一因としたほか、運営費の使途を巡り、Jリーグの外部監査を受けている事が判明した[4]。
2017年、池ノ上がV・ファーレン長崎のクラブハウス内に設置した接骨院が不正会計を行っていたことが発覚し、廃院となった[5]。
所属クラブ
[編集]- 1982年 - 1984年 鹿児島市立鹿児島商業高校
- 1985年 - 1988年 大阪商業大学
- 1989年 - 1990年 松下電器
- 1990年 - 1993年 全日空サッカークラブ/横浜フリューゲルス
- 1994年 - 1995年 PJMフューチャーズ/鳥栖フューチャーズ
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1989-90 | 松下 | 20 | JSL1部 | 14 | 2 | 0 | 0 | ||||
1990-91 | 全日空 | 29 | 14 | 1 | 4 | 0 | |||||
1991-92 | 18 | 2 | 1 | 0 | |||||||
1992 | 横浜F | - | J | - | 9 | 2 | |||||
1993 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
1994 | PJM | 14 | 旧JFL | 14 | 0 | - | 1 | 0 | 15 | 0 | |
1995 | 鳥栖F | 7 | 11 | 2 | - | 0 | 0 | 11 | 2 | ||
通算 | 日本 | J | 1 | 0 | 9 | 2 | |||||
日本 | JSL1部 | 46 | 5 | 5 | 0 | ||||||
日本 | 旧JFL | 25 | 2 | - | 1 | 0 | 26 | 2 | |||
総通算 | 72 | 7 | 14 | 2 |
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 5試合1得点
- 1991年
- コニカカップ 2試合0得点
経歴
[編集]- 日本代表初出場:1988年6月26日 対MSVミュンヘン(西ドイツ)戦(ミュンヘン)
- 日本代表初得点:1988年7月2日 対SVザルツブルク(オーストリア)戦(不明)
- Jリーグ初出場:1993年8月28日 対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- JSL(1部)初出場:1989年10月7日 対ヤンマーディーゼル戦(長居陸上競技場)
- JSL(1部)初得点:1989年10月22日 対読売クラブ戦(新潟市営陸上競技場)
指導歴
[編集]- 鹿児島城西高等学校:コーチ
- 2005年- アミーゴス鹿児島:U-18監督
参考文献
[編集]- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
脚注
[編集]- ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』p103
- ^ 『池ノ上俊一氏 クラブアドバイザー就任のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2016年1月13日 。2016年4月22日閲覧。
- ^ 『代表取締役社長 池ノ上 俊一 就任のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2016年4月21日 。2016年4月22日閲覧。
- ^ “J2長崎、役員3人交代・社長も辞任届 経営不振で引責:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年12月5日閲覧。
- ^ “長崎)V長崎元社長開設の整骨院、不正請求:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年12月5日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 池ノ上俊一 - WorldFootball.net
- 池ノ上俊一 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 池ノ上俊一 - J.League Data Siteによる選手データ