永田隆憲
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生年月日 | 1966年1月12日(58歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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出身地 | 福岡県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 早稲田大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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永田 隆憲(ながた たかのり、1966年1月12日 - )は、日本の元ラグビー選手、同指導者。既婚。
プロフィール
[編集]来歴・人物
[編集]筑紫高校時代に高校日本代表選手に選出され、主将を務めた。その後早稲田大学(以下、早大)に進学。木本建治が監督に就任した3年時の1986年、早明戦に初出場。
翌1987年、早大主将に就任。同年の早明戦は、雪の早明戦と言われる伝説の一戦となったが10-7で勝利。この勝利により、早大は関東大学対抗戦を5年ぶりに制した。続く全国大学ラグビーフットボール選手権大会では、京都産業、大阪体育、同志社の関西3チームを撃破し、11年ぶりに同大会制覇。そして1988年1月15日に行われた日本ラグビーフットボール選手権大会(以下、日本選手権)でも、早大OBの中村賢治が率いる東芝府中(現 東芝ブレイブルーパス)を22-16で破り、16年ぶり4度目の同大会優勝を果たした。
- 1988年1月15日に行われた日本選手権における早大フィフティーン
1988年1月15日、対 東芝府中 監督:木本建治 | |||
番号 | 選手名 | 学年 | 出身校 |
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1 | 永田隆憲 | 4年 | 筑紫 |
2 | 森島弘光 | 2年 | 日川 |
3 | 頓所明彦 | 4年 | 巻 |
4 | 弘田知巳 | 4年 | 早実 |
5 | 篠原太郎 | 3年 | 筑紫 |
6 | 神田識二朗 | 4年 | 福岡 |
7 | 清田真央 | 3年 | 神戸 |
8 | 清宮克幸 | 2年 | 茨田 |
9 | 堀越正巳 | 1年 | 熊谷工 |
10 | 前田夏洋 | 2年 | 修猷館 |
11 | 今泉清 | 1年 | 大分舞鶴 |
12 | 今駒憲二 | 4年 | 生田 |
13 | 藤掛三男 | 1年 | 佐野 |
14 | 桑島靖明 | 4年 | 石神井 |
15 | 加藤進一郎 | 4年 | 國學院久我山 |
その後、九州電力(現 九州電力キューデンヴォルテクス)に入社。1988年のオックスフォード大学戦に、日本代表選手として出場し、キャップ1を獲得した。そして九州電力でも主将を歴任。現役引退後は、九州電力及び日本代表のフォワード(FW)コーチ、九州代表監督を務めた。
義父は板東英二。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『ザ・ワールドラグビー』 (大友信彦 編、新潮社、ISBN 4104627011)の40ページ
- 九州電力ラグビー部OB 永田 隆憲氏、日本代表FWコーチに招聘 - 九州電力キューデンヴォルテクス公式サイト