永沢清之助
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永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月[1])[注 1]- 1906年(明治39年)6月28日[1][2])は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主[2]。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]陸奥仙台藩領志田郡古川村(古川町、古川市を経て現大崎市)に生まれる[3]。1889年(明治22年)古川町会議員に当選したのを皮切りに、志田郡会議員、宮城県農工銀行、同商業銀行、古川馬車鉄道各取締役などを歴任した[1]。
1904年(明治37年)高橋徳右衛門の後を受けて[4]宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から務めたが[1]、在任中に死去した[2][6]。
親族
[編集]- 嗣子 永沢安之助(宮城商業銀行頭取)[4]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『宮城県百科事典』794頁では1858年(安政5)。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
- 竹内理三ほか 編纂『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。ISBN 4040020405。