永山時英
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永山 時英(ながやま ときひで、慶応3年3月1日(1867年4月5日) - 昭和10年(1935年)2月6日)は、日本の教育家。長崎県立長崎図書館初代館長。
略歴
[編集]- 1867年:薩摩国市来郷長里村(現・鹿児島県日置市東市来町長里)の浅谷家に生まれる[1]。
- 1889年7月:鹿児島高等中学造士館予科卒業[2]。
- 1892年7月:第一高等中学校卒業[3]。
- 1895年:東京帝国大学史学科を卒業。
- 1902年:鹿児島県川内中学校(現在の鹿児島県立川内高等学校)校長に就任。
- 1907年:第七高等学校造士館教授に就任。
- 1907年:長崎県立長崎図書館の初代専任館長に就任。
- 1935年:死去。墓所は長崎市の観善寺。
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業績
[編集]近世長崎の歴史的特異性に着目し、世界史の中の長崎という視点から、キリシタン史料・対外貿易史料の収集等特色ある図書館作りに努めた。また、日本図書館協会の理事を務め、日本の図書館活動の発展に寄与した。同時期の長崎で活動した古賀十二郎・武藤長蔵と並んで長崎学の三大家とされる。
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著書
[編集]出典
[編集]- ^ a b 東市来町史編さん委員会 2005, p. 1028.
- ^ 『第七高等学校造士館一覧 自昭和十四年四月至昭和十五年三月』pp. 122-125.
- ^ 『第一高等学校一覧 自昭和六年至昭和七年 附録 卒業生氏名』pp. 35-39.
参考文献
[編集]- 東市来町史編さん委員会『東市来町誌』東市来町、2005年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 長崎歴史散歩3・県立長崎図書館初代館長永山時英 - ウェイバックマシン(2003年9月21日アーカイブ分)