永井浩二 (野球)
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オイスカ浜松国際高等学校硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県 |
生年月日 | 1971年6月12日(53歳) |
選手情報 | |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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永井 浩二(ながい こうじ、1971年6月12日 - )は、広島県出身の学生野球指導者。
経歴
[編集]現役時代は捕手としてプレー。広島県立広島商業高等学校時代に甲子園大会出場を経験。亜細亜大学に進学し[1]、高津臣吾の球を受けた[2][3]。1年下に入来祐作、沖原佳典がいた。
大学卒業後は地元の広島県福山市のNKK(現在のJFE西日本)に入社[1]。ドラフト候補にあがることもあったが、プロ入りは叶わなかった[2]。
1998年から知人の紹介で渡米し、2年間メジャーリーグのニューヨーク・メッツにブルペン捕手兼打撃投手を務めた[2]。
帰国後、クラブチームの浜松ケイ・スポーツBCに入団し、のちに現役引退[1]。
2006年から浜松大学(2013年より常葉大学浜松キャンパス)のコーチに就任。12月からは監督[4]。監督就任時にはメッツ時代の監督で当時ロッテ監督だったボビー・バレンタインを訪ねて春季キャンプへ行きアドバイスをもらった[2]。2012年には東海地区大学野球秋季リーグ戦で優勝[2]。
2019年6月からはオイスカ高等学校(2022年4月にオイスカ浜松国際高等学校に校名変更)の監督に就任[1]。社会科を担当する[5]。オイスカの校長と知り合いだったことからの就任だったが、就任の決定は急遽のものだった。高校では選手を下の名前で呼び、強制的な坊主を廃止。LINEグループを作ってこまめに連絡を取るなどの指導法を取った[2]。
著書
[編集]- 考える配球 ピッチングの極意へ、そして勝利へ近づくために!(2013年8月、ナツメ社、ISBN 978-4816354663)
脚注
[編集]- ^ a b c d 山岡則夫 (2019年7月20日). “メジャーのブルペン捕手から高校野球監督に…“異色の経歴”持つ男の挑戦”. AERA dot. 2020年9月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “「高校野球における本当の楽しさと本気の笑顔」、オイスカ浜松国際(静岡)を率いる永井浩二監督とは”. スポチュニティコラム (2022年5月7日). 2022年8月14日閲覧。
- ^ “日米で学んだ経験を地方大学に還元 静岡から全国目指す指導者の挑戦”. BASEBALL GATE. (2017年1月28日) 2022年8月14日閲覧。
- ^ “日米で学んだ経験を地方大学に還元 静岡から全国目指す指導者の挑戦”. Full-Count. (2017年1月28日) 2020年9月10日閲覧。
- ^ “オイスカ高・永井浩二新監督が就任「新しい野球を教えていきたい」常葉大浜松5月末で退職”. スポーツ報知. (2019年5月21日). オリジナルの2019年6月1日時点におけるアーカイブ。 2020年9月10日閲覧。