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氷上英廣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
氷上 英廣
人物情報
生誕 (1911-04-10) 1911年4月10日
日本の旗 日本東京都
死没 1986年9月16日(1986-09-16)(75歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 氷上信廣(教育者)
学問
研究分野 文学(ドイツ文学)
研究機関 東京大学
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氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 1986年9月16日)は、日本ドイツ文学者翻訳家東京大学名誉教授ドイツ文学比較文学比較文化専攻。

経歴

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出生から修学期

1911年、東京で生まれた。府立一中四修、一高文乙を経て、東京帝国大学文学部に進学。1933年に卒業した。

ドイツ文学研究者として

1936年より旧制甲南高等学校に教諭として勤務。1946年、一高教授に就いた。戦後の1950年に新制大学となったため、以降東京大学教養学部助教授。1957年に教授昇格。1960年から1年間、マールブルク大学文部省在外研究生として派遣された。1969年からは東京大学大学院比較文学比較文化専攻課程主任教授。1972年に東京大学を定年退官し、以降は武蔵大学教授として教鞭をとった。1982年に同校も退職。

交遊

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一高時代は文芸部委員となって中島敦らと親交があり、中島にカフカを奨めたという[1]。お互いに作品を校友会雑誌に作品を発表しあっていた。のち『中島敦全集』を編纂し、詳しい解説を書いた。吉田健一とも親交があり、『東京の昔』の帝大生・古木君のモデルとされる[2]

家族・親族

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著作

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著書
編著
訳書

ニーチェ

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  • 反時代的考察ニーチェ新潮文庫 1954[4]
  • 『アンチクリスト:偶像の黄昏』ニーチェ著、新潮文庫 1958[5]
  • 『華やかな知慧』ニーチェ著、新潮文庫 1958[6]
  • ツァラトゥストラはこう言った』(上・下) ニーチェ著、岩波文庫 1967-1970
    • ワイド版 1995
  • 『華やぐ知慧/メッシーナ牧歌』(ニーチェ全集 10) ニーチェ著、白水社 1988
  • 『遺された断想』(ニーチェ全集 11) ニーチェ著、白水社 1990
退任記念論文集
  • 『ニーチェとその周辺:退官記念論文集』朝日出版社 1972

参考文献

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  • 田鍋幸信編著1989『中島敦・光と影』新有堂[7]

脚注

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  1. ^ 氷上英廣「中島のこと」(田鍋 1989, pp. 206–208)
  2. ^ 長谷川郁夫『吉田健一』新潮社、2014年、592-593頁。 
  3. ^ 著作集および単行版
  4. ^ ニーチェ全集(新潮社)所収のものを文庫・単行本化。
  5. ^ ニーチェ全集(新潮社)所収のものを文庫・単行本化。
  6. ^ ニーチェ全集(新潮社)所収のものを文庫・単行本化。
  7. ^ ISBN 978-4880330136