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水野近守

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水野 近守(みずの ちかもり、? - 弘治2年3月20日1556年4月29日[1])は、戦国時代三河国武将。藤九郎。

来歴

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寛政重修諸家譜』では、水野忠政徳川家康の外祖父)の長男で、信元の兄であるが、父より早く没したとされるが、忠政は天文12年(1543年)に没しており、記述が矛盾する。『士林泝洄』では、常滑水野家水野為則の次男とされている。『刈谷市史』では、小川城主の本家を水野貞守-為則-賢勝-忠政とし、為則の次男で忠政の叔父にあたり、刈谷に分家したとする。また、子に守忠[2]があったとし、守忠の養子に忠政の3子・信近が入ったという(『刈谷市史』)。

永正14年ごろから10年間ほどは刈谷を守備[3]していたらしい[4]。昵懇だった連歌師宗長が、刈谷に来訪した際に近守を訪ねたりしており[5]連歌に通じた教養人であったようである[6]。しかし、その他の具体的な行動については不明である。

脚注

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  1. ^ 系図纂要』においては名を忠種とし、天文15年(1546年) - 元亀2年12月22日1571年1月17日
  2. ^ 古文書に名が見られ刈谷周辺を領したとみられる(『刈谷市史』)。
  3. ^ 『刈谷市史』は刈谷城城主とする。
  4. ^ 『刈谷市史』第2巻
  5. ^ 『宗長手記』(岩波文庫版)、『老葉集』「序」、「宇津山記」(『群書類従』27)
  6. ^ 村井正章『碧海の歴史-安城市・刈谷市・碧南市・知立市・高浜市の歴史』松籟社、1985年