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水無瀬忠政

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水無瀬忠政

水無瀬 忠政(みなせ ただまさ、1881年明治14年)9月23日[1] - 1963年昭和38年)1月15日[1][注 1])は、大正から昭和期の神職政治家華族貴族院子爵議員。妹に久邇静子多嘉王妃)。

経歴

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本籍・大阪府[2]水無瀬宮宮司水無瀬忠輔の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1916年(大正5年)3月20日に子爵を襲爵した[1][3][4]。同年、官幣中社水無瀬宮宮司に就任した[1][3]

1932年(昭和7年)12月17日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]研究会に所属して活動し1938年(昭和13年)6月17日に辞職した[2][7][8]

親族

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  • 庶子の母:萩原ろく - 東京。
    • 庶子(長男):忠寿(1913年12月 - 不明、水無瀬神宮宮司)[1]
  • 庶子の母(妻):ますゑ(梶野育造妹、兵庫)[1]
    • 庶子(次男):水無瀬忠彰(1925年10月-)
    • 庶子(三男):水無瀬忠孝(1935年-)
    • 庶子(長女):富子(1937年-)- 井上正己 妻
    • 庶子(四男):水無瀬忠徳(1939年-)
    • 庶子(五男):水無瀬忠親(1941年-1967年)
    • 庶子(次女):八重子(1944年-)- 三宅史郎 妻

脚注

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注釈

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  1. ^ または、昭和37年(1962年)1月15日[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 霞会館 1996, p. 691–692.
  2. ^ a b c 衆議院 & 参議院 1990, p. 58.
  3. ^ a b c 人事興信所 1943, p. ミ54.
  4. ^ 『官報』第1089号、大正5年3月22日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、40頁。
  6. ^ 『官報』第1792号、昭和7年12月19日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  8. ^ 『官報』第3439号、昭和13年6月22日。

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録』 下(14版)、1943年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成下巻』吉川弘文館、1996年。 


日本の爵位
先代
水無瀬忠輔
子爵
水無瀬家第2代
1916年 - 1947年
次代
華族制度廃止