水本光任
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水本 光任(みずもと みつと、Mituto Mizumoto、1914年12月30日 - 1991年11月16日)は、ブラジルの新聞経営者。
概略
[編集]1914年(大正3年)12月30日、熊本県下益城郡海東村(現・宇城市)に生まれる。海東高等小学校卒業。1929年(昭和4年)15歳の時村議を務めていた父をはじめ家族でブラジルへ移住する。
耕地での労働、山から切り出した木の炭焼き、法律事務所で日本人移住者の相談相手、書類の代書などの後、1946年(昭和21年)サンパウロ新聞を創刊し、戦後ブラジル日系社会をゆさぶった「勝ち組」「負け組」論争の収束に大きく貢献する。以後、サンパウロ新聞を海外最大の邦字新聞に育て上げた。紙は2011年(平成23年)に創刊65周年を迎え、読者はブラジルのみならず、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイの一部に広がっている[1]。
妻は和歌山県出身の移民1世水本みゑ。1977年(昭和52年)第25回菊池寛賞、1991年(平成3年)ブラジル民間人最高位のリオ・ブランコ国家勲章を受賞。1991年(平成3年)11月16日、76歳で死去[2]。
現在、サンパウロ新聞社の所在地は、創刊者の水本にちなんで、ミツト・ミズモト通り(Rua Mituto Mizumoto)という名称になっている[3]。
出典
[編集]- ^ 小川町史編纂委員会編纂「小川町史」小川町役場(熊本県)、1979年
- ^ 日外アソシエーツ「熊本県人物・人材情報リスト2007」
- ^ “GoogleMap”. Google. 2021年4月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 山田智彦『遠い架橋 : 小説水本光任伝』毎日新聞社、1988年。ISBN 4-620-10364-0。