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民衆運動

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民衆運動ドイツ語: Völkische Bewegung英語: Folkist movement)は、ドイツの民族主義運動の1つであり、19世紀の後半から1945年ナチスドイツの崩壊まで続いた理論でもある。

この理論はドイツ人の、つまり「ドイツ民族としての血のつながり」と「ドイツ国民が住んでいる土地」の2つを全ての基にしており、ドイツそのものを「生きている身体」(Volkskörper)とみなされる[1][2]ヴェルキッシュ運動フェルキッシュ運動などにも訳される。

語源と翻訳

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Völkisch」の意味は極めて複雑であり、一言でいい切れない。

「Völkisch(発音: [ˈfœlkɪʃ])」という形容詞自体は、ドイツ語の「Volk」に由来し、英語の「folk(民衆)」に相当され、意味としては「民族」「人種」「部族」といった意味合いを持っている[3]。「Völkisch」は英語での直接的な対応語がないが、「民族主義的」や「民族優越主義的」「民族的な大衆主義的」などの意味がある[4]。また、現代のドイツ語の語境には「生物的的な要素と神秘主義的な要素のある人種主義」というより複雑的な意味も含まれている[5]

「Völkisch」は、「Nordische Rasse(北方人種)」や「Germanentum(ゲルマン民族)」といった人種的な用語に近い意味を持ちながらも、印象にしてはそれらよりも柔らかい[6]。また、「Völkisch」は「Gemeinsame Sprache

(共通語)」のような「具体的なもの」を指しなく、ドイツ人やドイツ民族の精神・思想・価値観などにおける「範囲的なもの」を指している。そして、「Völkisch」は地理学者エーヴァルト・バンゼが言う「Landschaftsseele(州の風景の魂)」と同様の意味で捉えられることもある[7]

Völkisch運動」、すなわち本稿でいう「民衆運動」や「ヴェルキッシュ運動」の意味はドイツ語の「Volkstum」という概念に基づいて、「Volkstum」の意味もまた複雑であり、「民族性」「民俗学」「民衆が引き起るもの」といった意味合いを持っている[8]。最後、意味は違うが、書き方が似ているドイツ語には「Volksboden(民族の基盤)」、「Volksgeist[9]民族精神)」、「Volksgemeinschaft[10](民族が共同に住む場所)」、「Volkstümlichl[11](民俗的、伝統的)」や「Volkstümlichkeit[12](民族的・文化的・大衆的な祝祭)」などがある。

定義

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民衆運動には統一された説教や信念体系が無く、より曖昧なものであるが、唯一共通していたのは「古代ゲルマン民族の伝統を復活させること」にある[13][9]

この運動の理論によれば、全世界のほかの民族を「とある土地の範囲内で育った人々が、人為的な方法で強引に1つの国にまとめられて、最終的に民族となったもの」と考え、ドイツ人所属のゲルマン民族だけが「人為的な干渉を一切受けず、大自然で強く生き伸ばしている唯一の成功例である」とされている[14]。原始のゲルマン民族は多くの優れている点を持っていたが、民族自体があまりにもポジティブな干渉を受けなかったため、いつかの分野では知らず知らのうちに人為的な民族よりも遅れ、歴史の中で急速的に弱体化してしまった。

原始時代のゲルマン民族は全ヨーロッパを征服したローマ帝国でさえも簡単に滅ぼす力を持っていたが、19世紀のドイツ民族はもうそのような力を失った。ドイツ国家であるはずのオーストリアプロイセンは、海軍経済の面でイギリスアメリカに負け、陸軍愛国心の面でもフランスロシアに圧迫されるという状況から[15]、古き良きゲルマン民族の伝統を復活させる事こそが、今のドイツ民族にとって一番重要な事とみなされている[9]

  • 狭い意味では:
    • ドイツ民族を原始回復させるため、「キリスト教ユダヤ人の排除」が最優先とされていた[17][18]
    • 殆どのヨーロッパ人にとって非常に重要な「キリスト教」は、この運動の観点からはあまり重視されず、キリスト教に含まれる「非ゲルマン的な要素」を取り除くか、それともキリスト教自体を捨てることが求められた。
    • 民衆運動の支持者たちは、ほかの民族の影響が入る前のゲルマン民族・ドイツ民族の姿に戻りたいと考えて、キリスト教以前の原始的なゲルマン人の信仰を復活させ、「純粋のゲルマン国家の再生」を目指している[19]
    • イエス・キリストの存在を発明し、弱気な宗教の教義を通じてドイツ人欧州人が持っていた武力文化を断絶させようとする「ユダヤ人」は、全員ドイツ国外へ追放すべきだとされていた。

実現する方法

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  1. 民衆運動の理論によれば、典型的なゲルマン民族の特徴としては、白い肌青い目金髪、金色の体毛があり、体臭が少なく、筋肉質で背が高く、寒い地域を好むことが挙げられている[20]
  2. これらの特徴を最も多く持つのは現代のドイツ人ではなく、スウェーデン人デンマーク人ノルウェー人などの北欧人種であり、民衆運動はかれらを古代ゲルマン人の末裔生き残りだと信じていた[21]
  3. ドイツ人が「ゲルマン民族の純血」を完全に取り戻すには、何十年もかけて、古代ゲルマン人の遺伝子を持っている北欧人と国際結婚をしつつ、次々と子孫を増やす必要があると考えられていた[22]

この人種に基づき、どちらが優秀でどちらが劣等かを決める運動は、ヴァイマール共和国の時代(1918~1933年)の「保守革命」と「国民保守主義」の一形態とみなした。第三帝国の時代には、アドルフ・ヒトラーナチス党によってこの原理をさらに極端化され、ユダヤ人以外にも、カトリック教徒エホバの証人社会主義者共産主義者同性愛者などもすべて粛清・殺害しようとし、主流のドイツ人が「好ましくない人々」を短時間内で取って代わるとされていた[23][9]

第二次世界大戦のあとには、この理論を反対するために、または人種差別やさまざまな差別を無くすために「ポリコレ」が欧米の主流的な価値観となっている[24][20]

関連項目

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出典と引用

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脚注

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  1. ^ Longerich, Peter (2010-04-15) (英語). Holocaust: The Nazi Persecution and Murder of the Jews. OUP Oxford. ISBN 9780191613470. https://books.google.com/books?id=Ry-qW0lw2ZAC&pg=PT43 
  2. ^ Joseph W. Bendersky (2000). A History of Nazi Germany: 1919–1945. Rowman & Littlefield. p. 34. ISBN 978-0-8304-1567-0 
  3. ^ James Webb. 1976. The Occult Establishment. La Salle, Illinois: Open Court. ISBN 0-87548-434-4. pp. 276–277
  4. ^ Ullrich, Volker Jefferson Chase訳 (2016). Hitler: Ascent, 1889–1939. Knopf Doubleday Publishing Group. ISBN 9780385354394  passim
  5. ^ Camus & Lebourg 2017, pp. 16–18.
  6. ^ Georg Schmidt-Rohr: Die Sprache als Bildnerin. 1932.
  7. ^ Ewald Banse. Landschaft und Seele. München 1928, p. 469.
  8. ^ Brüggemeier, Franz-Josef; Cioc, Mark; Zeller, Thomas (2005) (英語). How Green Were the Nazis?: Nature, Environment, and Nation in the Third Reich. Ohio University Press. pp. 259. ISBN 9780821416471. https://books.google.com/books?id=erLXrJhsk5gC&pg=PA259 
  9. ^ a b c d Dohe 2016, p. 36.
  10. ^ Poewe, Karla; Hexham, Irving (2009). “The Völkisch Modernist Beginnings of National Socialism: Its Intrusion into the Church and Its Antisemitic Consequence” (英語). Religion Compass 3 (4): 676–696. doi:10.1111/j.1749-8171.2009.00156.x. ISSN 1749-8171. 
  11. ^ volkstümlich | translate German to English: Cambridge Dictionary” (英語). dictionary.cambridge.org. 2019年11月1日閲覧。
  12. ^ Brüggemeier, Franz-Josef; Cioc, Mark; Zeller, Thomas (2005) (英語). How Green Were the Nazis?: Nature, Environment, and Nation in the Third Reich. Ohio University Press. pp. 259. ISBN 9780821416471. https://books.google.com/books?id=erLXrJhsk5gC&pg=PA259 
  13. ^ Hans Jürgen Lutzhöft (1971). Der Nordische Gedanke in Deutschland 1920–1940 (Stuttgart. Ernst Klett Verlag), p. 19.
  14. ^ Dupeux, Louis (1992) (フランス語). La Révolution conservatrice allemande sous la République de Weimar. Kimé. ISBN 9782908212181. https://books.google.com/books?id=CeIkAQAAMAAJ 
  15. ^ Christopher Hutton (2005). Race and the Third Reich: Linguistics, Racial Anthropology and Genetics in the Dialectic of Volk. Polity. pp. 93, 105, 150. ISBN 978-0-7456-3177-6 
  16. ^ James Webb. 1976. The Occult Establishment. La Salle, Illinois: Open Court. ISBN 0-87548-434-4. pp. 276–277
  17. ^ Georg Schmidt-Rohr: Die Sprache als Bildnerin. 1932.
  18. ^ Ewald Banse. Landschaft und Seele. München 1928, p. 469.
  19. ^ volkstümlich | translate German to English: Cambridge Dictionary” (英語). dictionary.cambridge.org. 2019年11月1日閲覧。
  20. ^ a b Goodrick-Clarke 1985, p. 3.
  21. ^ Dupeux, Louis (1992) (フランス語). La Révolution conservatrice allemande sous la République de Weimar. Kimé. pp. 115–125. ISBN 978-2908212181. https://books.google.com/books?id=CeIkAQAAMAAJ 
  22. ^ Petteri Pietikäinen, "The Volk and Its Unconscious: Jung, Hauer and the 'German Revolution'". Journal of Contemporary History 35.4 (October 2000: 523–539), p. 524
  23. ^ A. J. Nicholls, reviewing George L. Mosse, The Crisis in German Ideology: Intellectual Origins of the Third Reich, in The English Historical Review 82 No. 325 (October 1967), p. 860. Mosse was characterised as "the foremost historian of völkisch ideology" by Petteri Pietikäinen 2000:524 note 6.
  24. ^ Birken, Lawrence (1994). “Volkish Nationalism in Perspective”. The History Teacher 27 (2): 133–143. doi:10.2307/494715. ISSN 0018-2745. JSTOR 494715. https://www.jstor.org/stable/494715. 

注釈

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参考書物

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外部リンク

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