毛利末広
表示
毛利 末広 | |
---|---|
生誕 |
1890年12月15日 日本 愛知県 |
死没 | 1953年11月29日(62歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
毛利 末広(もうり すえひろ、1890年(明治23年)12月15日[1] - 1953年(昭和28年)11月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1890年(明治23年)に愛知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業[3]。1935年(昭和10年)に梨本宮守正王附武官となり[2]、1937年(昭和12年)に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1938年(昭和13年)に歩兵第10連隊長に転じ[2]、日中戦争に出動、石家屯の警備に当たる[1]。1939年(昭和14年)に東京陸軍幼年学校附を経て[2]、1940年(昭和15年)に名古屋陸軍幼年学校長に就任[2]。同年12月には陸軍少将に進級[2]。
1941年(昭和16年)に独立混成第3旅団長に転じ[1]、中国戦線に復帰。山西省の警備に当たり、八路軍と戦闘となる[1]。1944年(昭和19年)に陸軍中将に進級し[2]、第58師団長に親補される[1]。応城に駐屯し[3]、湘桂作戦に参戦[3]。1945年(昭和20年)3月9日に中部軍管区司令部附を経て[1]、3月11日に第154師団長に親補される[4]。同年7月16日には中部軍管区兵務部長に転じ[1]、終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。