コンテンツにスキップ

毛利基親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

毛利 基親(もうり もとちか、生年不詳 - 嘉暦元年11月23日1326年12月18日[1])は、鎌倉時代武士毛利経光の嫡男[2]。弟に時親が、他の兄弟に時光政光親忠親宗がいる[2][1]。子に時元[2]。はじめ其頼と名乗った[2][1]。左近蔵人[2][1]、入道瞻仏[1]。法名は胆仏[2]

父・経光から越後国刈羽郡佐橋荘南条を引き継ぐ。その他の業績は史料が少なく不明。

嘉暦元年(1326年)に死去[1]。享年76[2][1]

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668全国書誌番号:84023599 
  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060 国立国会図書館デジタルコレクション
先代
毛利経光
越後毛利氏第2代当主
???? - ????
次代
毛利時元