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毒草 (小説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毒草
お品の巻 / 疑獄の巻 / お仙の巻
著者 菊池幽芳
発行日 1916年 - 1917年 全3巻
発行元 至誠堂書店
ジャンル 小説家庭小説
日本の旗 日本
言語 日本の旗 日本語
公式サイト opac.ndl.go.jp
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毒草』(どくそう)は、1916年(大正5年)に発表された菊池幽芳による日本小説であり、同作を原作とし、1917年(大正6年)に小林商会天活日活向島の3社が競作で、1931年(昭和6年)に新興キネマが、1937年(昭和12年)に大都映画がそれぞれ製作・公開した日本のサイレント映画である。

略歴・概要

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小説『毒草』の初出は、菊池幽芳の勤務先が発行する『大阪毎日新聞』、および『東京日日新聞』紙上で、1916年(大正5年)に掲載された。同年から翌1917年(大正5年)にかけて、至誠堂書店から『毒草 お品の巻・疑獄の巻・お仙の巻』全3冊が刊行されている[1]

菊池の小説は、『己が罪』(1899年 - 1900年)、『乳姉妹』(1903年)と発表されるたびにベストセラーになり、「家庭小説」のジャンルを確立したと言われ[2]、初期の日本映画において多く映画化された[3]

1917年(大正6年)には小林商会、天然色活動写真(天活)、日活向島撮影所の3社が競作で製作を開始、それぞれ、同年3月11日に同日公開された[3]。同日の浅草公園六区では、三友館では小林商会の『毒草』、大勝館では天活の『毒草』、オペラ館では日活向島の『毒草』をそれぞれ上映するという状態になった。

1931年(昭和6年)には、新興キネマが曽根純三を監督にリメイクし、1937年(昭和12年)には、大都映画が吉村操を監督にリメイクした[3]。いずれもトーキーの時代に入っていたが、サイレント映画として製作されたので、本作を原作にした映画は、サイレント映画のみとなった。映画『毒草』は、いずれのヴァージョンも、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されていない[4]

小説『毒草』は、2009年(平成21年)11月現在、1924年(大正13年)版の全集の復刻である、1997年(平成9年)版以外は、すべて絶版である。 ⇒ #ビブリオグラフィ

フィルモグラフィ

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配役の変遷を中心にした映画化の一覧[5]

製作 監督 お品 吉蔵 お源 お仙 紫山 千太 土手の福
1917年 毒草 小林商会 井上正夫 木下吉之助 栗島狭衣 井上正夫 葛城文子 梅島昇 吉岡啓太郎 藤村秀夫
1917年 毒草 天活 川口吉太郎 桜井武夫 熊谷武雄 村田正雄 東猛夫 村田高一 国松一 志賀靖郎
1917年 毒草 日活向島 小口忠 立花貞二郎 大村正雄 五月操 二島竹松 水島亮太郎 藤川三之助 横山運平
1931年 毒草 新興キネマ 曽根純三 森静子 津村宏 中川芳江 徳川良子 杉狂児 小阪信夫 松本泰輔
1937年 毒草 大都映画 吉村操 琴糸路

1917年 小林商会版

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正篇

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毒草
監督 井上正夫
脚本 栗島狭衣
原作 菊池幽芳
製作総指揮 小林喜三郎
出演者 井上正夫
栗島狭衣
撮影 長井信一
製作会社 小林商会
配給 日本の旗 小林商会
公開 日本の旗 1917年3月11日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
次作 毒草
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毒草』(どくそう)は、1917年(大正6年)製作・公開、井上正夫監督による日本のサイレント映画女性映画である。井上が老婆のお源役で主演し、脚本を書いた栗島狭衣も出演している。栗島は栗島すみ子の父である。特筆すべきは、のちの松竹蒲田撮影所の女優・葛城文子が、「映画女優第一号」とされる花柳はるみの『深山の乙女』(監督帰山教正、1919年)よりも2年早く、映画に出演していることである。葛城は当時、井上の女優劇や連鎖劇に出演していた[6]

小林商会は、本作を他の2社と同日の同年3月11日に公開した後、別キャストで続篇を製作・公開している。

スタッフ・作品データ

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キャスト

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続篇

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毒草
監督 不明
原作 菊池幽芳
製作総指揮 小林喜三郎
出演者 高部幸次郎
市川菊子
製作会社 小林商会
配給 日本の旗 小林商会
公開 日本の旗 1917年3月
上映時間 短篇
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 毒草
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毒草』(どくそう)は、1917年(大正6年)製作・公開、日本のサイレント映画、女性映画である。小林商会は、3社競作で同年3月11日に前作を公開した同月、本作を別キャストで製作・公開している。

スタッフ・作品データ

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キャスト

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1917年 天活版

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毒草
監督 川口吉太郎
脚本 川口吉太郎
原作 菊池幽芳
出演者 村田正雄
東猛夫
撮影 藤野泰
製作会社 天然色活動写真大阪撮影所
配給 日本の旗 天然色活動写真
公開 日本の旗 1917年3月11日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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毒草』(どくそう)は、1917年(大正6年)製作・公開、川口吉太郎監督による日本のサイレント映画、女性映画である。川口吉太郎は後の川口呑舟である。天然色活動写真大阪撮影所が製作し、他の競作2社と同日、同年3月11日に公開された。

スタッフ・作品データ

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キャスト

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1917年 日活向島版

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毒草
監督 小口忠
脚本 桝本清
原作 菊池幽芳
出演者 立花貞二郎
五月操
撮影 藤原幸三郎
製作会社 日活向島撮影所
配給 日本の旗 日活
公開 日本の旗 1917年3月11日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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毒草』(どくそう)は、1917年(大正6年)製作・公開、小口忠監督による日本のサイレント映画、女性映画である。日活向島撮影所が製作し、他の競作2社と同日、同年3月11日に公開された。

スタッフ・作品データ

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キャスト

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1931年版

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毒草
監督 曽根純三
脚本 山内英三
原作 菊池幽芳
撮影 三木稔
製作会社 新興キネマ
配給 日本の旗 新興キネマ
公開 日本の旗 1931年10月15日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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毒草』(どくそう)は、1931年(昭和6年)製作・公開、曽根純三監督による日本のサイレント映画、女性映画である。新興キネマが製作した、1917年(大正6年)の3社競作作品のリメイクである。

スタッフ・作品データ

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キャスト

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1937年版

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毒草
監督 吉村操
脚本 伊知地大輔
原作 菊池幽芳
出演者 琴糸路
撮影 永貞二郎
製作会社 大都映画
配給 日本の旗 大都映画
公開 日本の旗 1937年2月18日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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毒草』(どくそう)は、1937年(昭和12年)製作・公開、吉村操監督による日本のサイレント映画、女性映画である。大都映画が製作し、1917年(大正6年)の3社競作作品、および1931年(昭和6年)の新興キネマ作品のリメイクである。

スタッフ・作品データ

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キャスト

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ビブリオグラフィ

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国立国会図書館蔵書[1]

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  1. ^ a b OPAC NDL 検索結果、国立国会図書館、2009年11月25日閲覧。
  2. ^ 菊池幽芳、『講談社 日本人名大辞典』、講談社 / 『百科事典マイペディア』、日立システムアンドサービスコトバンク、2009年11月26日閲覧。
  3. ^ a b c 菊池幽芳、日本映画データベース、2009年11月26日閲覧。
  4. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2009年11月28日閲覧。
  5. ^ 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎中央公論社、1968年、p.273.(1917年競作の配役)
  6. ^ 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「葛城文子」の項。

外部リンク

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