殷芸
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殷 芸[1](いん うん、471年 - 529年)は、南朝斉から梁にかけての官僚。字は灌蔬。本貫は陳郡長平県。
経歴
[編集]才気にすぐれ、些細な行いに拘らなかった。交遊は少なく、学問に精励して、群書に広く通じた。幼くして廬江郡の何憲と面会すると、大層感心されて賞賛を受けた。南朝斉の永明年間、宜都王蕭鏗の下で行参軍をつとめた。南朝梁の天監初年、西中郎主簿となり、臨川王蕭宏の下で後軍記室をつとめた。天監7年(508年)、通直散騎侍郎に転じ、中書通事舎人を兼ねた。天監10年(511年)、通直散騎侍郎に任じられ、尚書左丞を兼ねた。さらに中書舎人を兼ねた。国子博士に転じ、昭明太子蕭統の下で侍読をつとめた。豫章王蕭綜の下で西中郎長史となり、丹陽尹丞を兼ねた。通直散騎常侍・秘書監・司徒左長史を歴任した。普通6年(525年)、東宮学士省に宿直した。
大通3年(529年)、死去した。享年は59。
脚注
[編集]- ^ 「芸」(うん)と「藝」(げい)は別字であるが、新字体制定の際にどちらも「芸」に統一された。