段隆
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段 隆(だん りゅう、生没年不詳)は、モンゴル帝国(大元ウルス)支配下の雲南における第6代大理総管。信苴隆と表記されることもある。
概要
[編集]段隆の出自については第5代大理総管の段正の子とする説、第4代大理総管の段慶の子とする説が混在するが、「元故副相墓碑」で「中奉大参段公慶(段慶)」の「嗣」である「信苴隆(段隆)」という表記がみられることから、段慶の子とみなすのが主流である[1]。
諸史料によると1316年(延祐3年)- 1317年(延祐4年)ころに段正から大理路軍民総管の地位を継いだとされる[2]。その後、1328年~1331年ころ(史料によって異動あり)に老齢のため息子の段俊に地位を譲った[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 林謙一郎「元代雲南の段氏総管」『東洋学報』78、1996年